って、まぁ、人なんですが。

この作品は、私なんぞ駄文戯言繰りにとってはモエを語るのが妙に難しかった。
たとえば「モエポインツ」てな感じで箇条書きにしようものなら、それは、
「全瞬間」
 を文字で羅列するという作業に他ならなず、まさに「語るに落ちる」感じ・・・

なので、作品自体の感想はまた後ほど書き留めておくとして、
木村さんについてのあれやこれや。

物心ついてから最初に木村さんの表現について思ったことは、
「生々しい」ということだった。
温度とか匂いとか、「その人物が感じていること」が観ている側に入ってくる感じ。
つまり、加工されたリアリティではなくて、その人物の感情がお茶の間と通じ合ってしまうというか・・・
今考えても、尋常じゃない才能だと思う。

それと、前からCMでもちょいちょい見ることはあったけれど、
「木村さん本人すら見たことのないものを体現できちゃう表現」の凄まじさよ。
アンドロイドとしての動作はもとより、姿勢も声のトーンも。

そして、最終話のロイドから黎士への切り替わり。
もう・・・・すごすぎてちょっと引いた。

きっと、木村さんは表現としてあらわれるまでの過程を説明することはないだろう。
それで、見ているこちらとしては「・・・何だ今の表現は!」となる摂理。

今まで「人」の表現を究めてきた木村さんが、
ここにきてヒトではないものも生き抜いてしまった。

四十何歳の男性にい言う言葉ではないかもしれないけれど、
本当に末恐ろしい。
そして、その先にある作品にわくわくできる。
観る側として、こんなに嬉しいことはない。






「安堂ロイド」最終話。

今日は第一話からずっと見返してた。

麻陽は「黎明」行きの電車に2度、乗れなかった。

一度目はラプラスに急襲され、
二度目は自ら飛び込もうとして。

「夜明け」にたどり着けぬ「朝日」。
その代わりに、夜明けのほうが朝日を迎えにいっていたんですね。
ロイドに麻陽を「護って」もらいながら。
ロイドには「愛」を教えながら。

・・・
最終話を受け取って、
まだ言葉にならない感じが渦巻いている。
そしてキーボードを打つ指の血管がいつもより強く脈打ってるのがわかる。

単なる電気紙芝居ではなく、制作・広告側の自慰動画でもなく、
作り手たちの「伝えたい」想いに打たれることの出来たこの作品を、
私はいつまでも記憶と心に留めておきたいと思う。

モエうざ語りはまた後ほど。
頭が回んないのよ~!





なぜ「ARX-Ⅱ13」の資料を持っているの?
100年後の世界をハッキングしてきたの?

びゅんびゅん飛んでく話にしがみつくのに精一杯で
全部の因果関係が拾いきれん・・・!



第6話速感

2013年11月17日 t,k,
圧倒のレベルが今までと違う。

話自体は脳みそぐわんぐわん振り回されましたが。

 ・・・木村さん、この世界に挑んでくれて本当にありがとう・・・!
安堂ロイド 第5話。


知らず知らず息を詰めて見ている。
本格的にSF的攻め方になってきた。
扱ってる題材だけじゃなく、語り方や文法含めて…

見ている人にわかりやすく、ではなく、いかに刺さるものを創るか。
ただでさえ尖った表現の人たちが集まって、同じ志のもとに身を削っている。


そして、話自体の感想というより疑問。
もし、葦母の推理が正しかったとして、ロイドの伝言の主が黎士だとして。

彼が(彼のまま)生きて帰ってくるのなら、それは彼の辿り着いた「真理」と矛盾しちゃうんじゃないの?

そしてもし、黎士が麻陽を決定された未来への一矢とするのならば、それはアンドロイドとその創造主たる人間の関係を変えることなのでは?

彼女は技術や理論はすっとばして、今目の前で起きていることから思いもかけない手を導き出す。


例えば。

「黎士が戻ってくる」とは、麻陽と過去を共にしたあの人間そのものではなくて、ロイドがその魂の完全なる継承者となる、ことなんだとしたら。

麻陽がロイドと 愛し合うという歴史が生まれてしまったら。


100年後のモノとしてのアンドロイド、その使用者としての人間という関係性は根本的に変わってくる。



…うわーんわかんないよーー(*_*)

速感と言いつつただのウザ語りになってしまったぁ!

秋の尻尾につかまってるからか、月が綺麗だからか知らないが、
黎士とロイドの中の人が投稿しているコトバを見ると、
すごく不思議な気持ちになる。

言葉に装いなく、でもちょっと語尾に照れ隠しみたいのも感じる。

ここに来て、
こんなに可愛げと凄みが両立する境地にたどり着こうとはちょっと思ってもみなかった・・・


風あたりのキツイ世界の一番キツイところで何十年も吹きさらされてきたからか、
岩の森・砂の山の中、角が取れて人間には思いもつかない造形にいたった岩石みたいだ。
どんどん余計なもの(でも常人に張り付いてしょうがないもの)が取れた少年のような笑顔があれば、
声や手や様々なところで計り知れない年月(あるいは経験)の積み重ねを感じることもある。

見飽きない私はちょっとおかしいのか・・・?

---
ロイド。

4話の感想を語るにはあまりにも眠すぎる、ので。

画面が暑苦しくないなぁ、と思ったら、
全身が映っていたからなのね。
アクションだから、必然的にそういう画になるというのももちろんあるだろうけど、
役者さんの顔(だけ)劇場にならず、渾身の・全身の表現を受け取れるということは、
視聴者としてこの上ない喜び。

それにしても、木村さん本当にありがとう!
そう言いたくなるこのごろ。



n回目の世界

2013年10月24日 t,k,
「安堂ロイド」第2話絶賛脳内再生中。


・黎士とのイチャイチャシーン。
 「黎士」もさることながら麻陽の呼びかけのリアルさ。
 不自然さがないからその「リアルさ」をそのまま観てしまうけど、
 これを演じていると思うと異様なほどの巧さなんだよな。

・見つめられたら穴が空きそうな麻陽の眼。
 黒のロイドと対照的に、麻陽の白。
 その中でも特に眼を奪われるのは、白目の部分。
 「ロイド」を見るその目は明らかな敵意と戸惑いでアンドロイドを突き刺しているけど、
 これからどういう流れで愛することになるんだろう?
 (次回なんてチェンンソー持ち出してたけど。武闘派ヒロイン。)
 

・誰と、誰との「戦争」なの?
  ロイドが受けた命は「麻陽を守ること」。
  彼は「禁じられている」というけど、誰に?
  単に阻止するだけだったら「許可されていない」でいいよね?
  「禁じる」権限を持つ人物は誰なんだろう・・・
  そして、100年後の未来からすればかなりロースペックな機体に守らせている。
  100年後から黎士にメールを送った人物だろうか?・・・うーむ。
  
サプリとの関係、昔のロイドの任務失敗もかなり気になるところ。

こういう「謎」をあれこれ考えるだけで楽しいんだよ!

黎士と麻陽の「過去」。サプリとロイドの「過去」。
彼らはみんな過去に消せない、消したくない記憶を持っている。
そんな彼らが出会い、過去と未来がぶつかって生まれてしまった新しい「現在」。

・・・早く日曜日にならないかな。



「安堂ロイド」#2。

何とか玄関先の七瀬に対応しようとする麻陽に対して、
「俺は嘘がつけない」と繰り返すロイドに
「お探しのページは見つかりません」というグーグル先生のお返事を思い出し。

麻陽の母(ナイスキャラ!)など、感情で動く人物に対するロイドの眼は、
<now processing...>って感じ。
そして検索をかけてみたものの、彼のプログラムは「答え」を理解することができない。

しっかし、「やっぱりお母さんの味噌は・・・」しかり、
それから「嘘がつけない」というプログラムしかり、「黎士」の断片が何かしらの形でロイドに継承されているんだと思うけど、一体どういう経緯で???

一週間かけてモエてく甲斐がありすぎてしょうがない!





この引きずり方はやばい。
期待値を差し引いても、嬉しい誤算です。

いや~・・・
考えてみればこれだけ「エッジー」な世界観で演じるのはギフトぶりなんじゃないか。
思わず木村さんが「視聴者とのコミュニケーションがとれるのか」と心配したほどに。

(早速話が変わるけど、
この木村さんの「視聴者とコミュニケーションする」って考え方、ものすごく面白い。
まさしく5次元的距離感、姿勢、対処の感覚が鋭敏すぎる。
そしてそういう人を中心に据えた作品(=ボール)を受け取ることなしにディスりまくる人たちがいるというのも別の意味でなかなか面白いことではある・・・)

今日は木村さんの表現、以外のとこをつらつら。

自分なりに「安堂ロイド」のベスト視聴環境を試した結果、
①大画面 ②暗くする ③なるべく他の情報を入れない
でまさに自分にとっては「映画」的観かたとなりました。

作るほうも、パソコン・スマホいじりつつテレビを観る(テレビを観ながらいじる、ではなく)という今の視聴者の状況を意識的に無視してこういう画を構築してったのだろうと思う。

今のご時世、しかも日曜9時木村拓哉主演ドラマで、というのは相当勇気のいることなんじゃないか。
しかもSFアクションで、ってその層が一番テレビと縁遠くなっているイメージ。

今までで一番好きなSF作品は「銀河ヒッチハイク・ガイド」
(若き日のマーティー・フリーマン出演)だったんだけど、それと同じくらい私の記憶に残る作品になってくれそうな予感。

「これは絶対良い作品になる!」と思ったのは、
ロイドの上に羽が舞い落ちる冒頭シーン、の音楽。
弦のトレモロ(まるで新たな世界が呼吸を始めたかのような)の下で時折除く低音のピチカート、そしてフレーズがゆっくり発展していく様子。

話のピーク(=音楽のピーク)が木村さんの登場じゃないんですよね。
ストーリーはまた別で、「ロイド」の覚醒が一番のピーク、それに合わせて音楽のテンションも高まり、麻陽とロイドが出会ってからは音楽がまた別の揺れ方をしているし。

音楽もまた、物語世界をかたちづくる一つの要素だけれど、
その流れを意図的に木村さんに沿わせなかったあのシーンが本当に「あぁ、これは(私にとって・笑)面白いドラマになる!」と思わせてくれた一瞬でした・・・

- - - - - - - - -
今はまだ「安堂」ロイド、となっているのが解せない。
それに、黎士・ロイドとも「勝つまでやる、何度でも」と言っている事がひっかかるし、(今ドラマで描かれてるのはすでに「何度」か試行された世界なのかも?)、黎士が一体何の歴史を捻じ曲げてしまったのかも。


あと10週近くこんな時間が続くのかぁー!
うひー!(嬉しい悲鳴)

- - - - - - - - -

木村さんと柴崎さんの芝居ってお互いの「鋭敏」が共鳴増幅している感じ。
「黎士に対する、そしてロイドに対する麻陽」の表現にいちいち驚きながら、
二人とも、「鏡」のような感性をもってるなぁと一人で納得。
対象をそっくりそのまま写す機能としてではなく、鏡それ自体が対象の光・動きを吸い込んでいるかのような。個性を宿す鏡、というか。(変な表現だけれど)

それと、個人的に「おーっ」と思ったこと。
「孔子じゃないですよープークスクス」by黎士のところ、背後の板書全部木村さんが書いたように見える。(インテグラルが縦に伸びるあたり特に)
あれは、撮影時に「木村さんコレ板書してください」って言われていきなり書いたんだろうか。
自分よりも大きいモノに、バランス良く均等に(しかもぎこちなさなく)書くって結構難しいと思うのですが・・・
ちなみに私は知らず知らず右肩あがりになるぶきっちょ人間である。



「安堂ロイド」♯1。


難しい。

惹かれる理由を説明するのは。


頭よわよわ人間だから、
「なぜ惹かれるか」を完全理論分析した答えの先にはあまり魅力を感じない。
だれかを説得しなきゃいけないなら別として。

目を惹きつけて離させてくれない、そういうものを、
常に驚きと不思議さと(モエともいう)で自分の眼に映したい。

自分との親和性よりも、むしろ見たことのない輝きを。
そして、その感動をうざったく語って、残照だけでも繋ぎとめておきたい。
そんな変態ゴコロ。


「こんなドラマ見たことない!」と思えたこと。
これはかーなーり嬉しい驚きだった。
だから、分析ではなく、自分のなかに浮かんだあれこれをうだうだと。

木村さんを見初めたときにはもう「安心と安定のキムタクブランド」は確立されていて、
特にTBS⇔フジのドラマラリーでは、(もちろんチャレンジングな企画だったんだろうけど)
「今までのキムタクライン」でやったことのないピンポイントだったり「かつて一斉を風靡したキムタクを(社運をかけて)もう一度!」的な匂いを感じることも多かった。

そんな時には必ず、木村さんまでくすんで見えたし、クライマックスでは大体「伝家の宝刀キムタク」で押しきったりして、
それがすごく歯がゆかった。

今回は放送前からかなり期待して、そして楽々裏切ってくれた。
「今まで見たことない木村拓哉を!!」と触れこんでたけど、
それでも「キムタクライン」で制作されたドラマ群と一線を画してるんじゃと思えたのは、

「木村拓哉」という人が背負って創ってきたのとは全く違う表現世界を築いていた人がいるというのも一つ。
つまり、テレビのなかで強烈すぎる表現に引っ張られない人達。

そんな世界でシノギを削ってきた、そういう人たちが試行錯誤と同時にわくわくしながら作ってるのが分かる。


そして、木村さんの表現。
一言でいうと「一挙手一投足」なんだけどね。
ヨロヨロヘロヘロ気味な黎士と、背中に鉄の棒でも入ってんじゃないかと思うくらい上体が動かないロイド。
麻陽に向ける柔らかい眼差しと、光の入らないビー玉みたいな眼。
「なんでああいう表現ができるんだろう!?」っていう驚きに尽きる。

説明くさくなく、一話から飛ばしてくれた感じ。
細かいモエは一週間かけて消化反芻していこう。

じゃないと次の日曜日まで待てないから。
食虫植物的楽しみ方…








ぬお!

2013年8月16日 t,k,
やっとでました!

(…色黒アンドロイド…?)

とにもかくにも、楽しめる作品だといいなぁ!
 願わくば作り手のみなさんにとっても。




どんどん鍋底のように焦げてく木村さんを見ていると物悲しくなるので、木村さんのお仕事を2・3妄想する。

・ラジオドラマ。
 音だけの木村さんの表現ってどんなのだろうと妄想し、
 うひっとする。
 
・朗読。
 これもラジオかな。
 iphoneのNHKラジオアプリでたまに橋爪功さんや松たかこさんetc俳優さんたちが本を一冊読んでいく番組を視聴するので、そんなんもいいな。
 不思議なもので、どの俳優さんもこの番組では表現の振幅(上がり下がり?)を極力抑えているような印象を受ける。
 目の見えない人向け朗読ボランティアをやっていた友が、
 「あんまり自分の感情を入れると、”その人の感情”ばっかりが刺さって本の内容を受け取れなくなってしまうんだよ」と言っていたことを思い出す。

・ショートフィルム。
 これも案外な長さで妄想してしまうお仕事である。
 こないだのスマスーマでもだったけど、やはり木村さんのaction=reactionは秀逸すぎる。
 なので、ちょっとファンタジーな世界の話とか。
 それか、まったくのパントマイム状態での撮影もいいな。

上二つはいくら木村さんが焼け焦げようが支障のないお仕事なので、ぜひお勧めしたいわ~・・・はぁ。

あれやこれや妄想していると、「木村さんよ、もう一年の半分すぎちゃうぜ…?」って思うけど、その衝撃的過ぎる事実はいつも私のこめかみにブーメランとなって刺さるのであった…そして謎のあたふた。

いつのまにか夜の寒さが涼しさに移っている。
紫陽花の葉が青みのある脈を張り巡らせていく。

雲が高く昇っていく。影が濃くなっていく。そんな季節。

 
月曜日はオンタイム無理~♪

というわけで、観終わるまで世間の声シャットアウトして挑んだ(?)
「priceless」1話。

いや~~良かった!
安心して、次起こることを「わくわく」して待てる感覚は久しぶり♪

木村さん(asふみおっちゃんv)にばかり焦点をあてるのではなく、
ばあいによっちゃ遠景をとるためにヨリの木村さんを思いっきりぼかしている。
(一番「おおっ!」と思ったのは、兄弟がおねーさんに500円もらってる場面)
きっと、鈴木監督は
 「撮るべきもの」「なぜそれを撮るか」 が明確にビジョンとしてあるんだろうな・・・

金田一、模合、二階堂等々、登場人物がストーリーの中で生きているのが伝わる。

本当に、来週たのしみだな~♪



蛇足:
ホストにしちゃうのがジャ○さん(てーべーえす)。
「アシ出すぎだろw」ってしちゃうのが鈴木さん。 てな。

気がついてみれば一年の締めくくりに入ろうというところ・・・

朝の空気が少しだけ顔に刺さってくると、
いよいよか、という驚きと焦りがいっぺんに飛び込んでくる。
それを押し隠しながら、明け方に雨が止んだ通りのどこかから金木犀の香りにでくわして、
その嬉しさを胸いっぱいに吸い込んで歩いていく。

あやうい季節の境を進んでいくようなわくわくした気持ちは、
春の訪れのときとは少し違う。

鼻がつんとする寂しさと覚悟の予感。
そして硬くなっていく光が砕け、街中に広がるあの嬉しさを感じることのできる季節が。

- - - - - - -
先週のわっつ。
(←さすがにネタが古いが、気温も下がってきたしまだニオイはしないだろう・・・♪)

このお方は本当に、とてつもなく健全な人だなぁと思う。
なんというか、魂レベルでもともとそうであり、
なおかつ自分の意志でその健全さが精錬されてきた、という感じ。

そして、つくづく「醒めた」人だとも思う。
どんなに照明や衆目で焼けそうになっていても、祀り上げられても、
反対に貶され批判されるときであっても・・・
周囲がどんなに波立っていて、その只中にいたとしても、
「ブレない」でいる。

例えば、酒。
周りがどんなに酔っていようと、乱痴気騒ぎをしようと、
その渦中で「素面」でいる感覚。

例えば、夢。
他人の夢を体現し、その中で「生き」て、
それでいて、それが「夢」だと自覚していること。

どんな思考回路になれば、あんなに自分を客観視できるんだろう?
そう行動できるんだろう・・・?

そこが、私が一番、木村さんを見ていて謎だと感じるところかもしれない。

それが「仕事」だと割り切ってしまえばそれまでだけど、
もしそうだとしたら「夢の中の住人」としてやっていくことを選んだほうが楽だろうし、
反対に「夢」を見ることさえ嫌になっていたかもしれない。


あの絶妙な「醒め」加減がなければ、
夢の中の「王子様」、「ヒーロー」たちは血の通わないただの紙芝居の登場人物だった。

私が木村さんの芝居で好きなのは、
どのキャラクターにも生活感があること。
一挙手一投足にその人間の血肉を通わせているところだ。
そのやり方が、なんというか・・・・通り一遍の「作為」を飛び越えて伝わってくる。

私は、そういうリアルな芝居全体と、相手(役)を否定しない対峙の仕方がすごく気になる。
だから、役者仕事が特に好きなのです。
(具体的に、どこがどう、とか分析はしないですが・・・)

今度の月9はコメディータッチということもあり、
特に心配も何もないのですが・・・
個性バンバンな役者さん方が出演されるということで、
木村さんの「受ける」芝居がたくさん見られるんじゃないか、と期待しています♪(涎)



わんこが一匹、わんこが二匹、わんこが三匹、わんこが・・・あれ?

 ・・・しかしなんちゅう瞳の色しとんじゃ・・・(呆れモエ)
UOMO。
硬い床にシャッターの下りる重い音が響く。
風が緩く吹いて、白い布にひだをつくる。
ふと窓枠を暖めていた光が消えて、佇む男の半身に影を宿した。

そんなひと時を感じさせる、今回の「portrait」。
私は木村さんの仕事の中でも、特に役者仕事と写真の仕事が大好きだ。
それはある意味、木村さんの表現そのものに目を惹かれるのと、
写し取る人との関係上に出来上がった作品が面白いから。
それが私の好きな人ならなおのこと。

上田さんの写真は本当に美しい。
自分の感覚と被写体にとことん敬虔でなければ、あんな写真は撮れないと思う。
すべてのものが呼吸する写真。
その中に収まるすべてがその時を生きている。

上田さんの銀塩写真の肖像の一人、としての木村さんは、
けして躍動はしていない。
瞳になにかを湛えて、「こちら」ではないどこかを見ている。
私が見入ってしまうのは、顔というよりすべての部分、あるいは全体。
影の中のグラデーション、光の波。
それをつくりだす被写体の骨格、肌の質感、衣擦れの音。

私が想像するまでもなく、分かってしまう写真だ。
その後ようやくこちらの想像力が追いついてくる。

これは木村拓哉、としてのポートレートなんだろうか。
私には分からない。
けれどこの写真はまぎれもなく、
ある人間のその時を封じ込めたもの。
息を吹きかけるまでもなく、写真の中の光は揺れ、彼はその行方に目を眇めている。


・・・久しぶりすぎて書き方忘れた\(^o^)/

雪光る、しらせ

2012年1月25日 t,k,
冬の日は透明だ。
わざと色をつけてみたくなるような朝の光。

顔を照らすその光が、雪のように冷えた君へと延びて行く。
美しく荒れ果てた大地、力強く駆ける犬たち、そして役者の気迫。

いろんな意味でスケールのデカすぎるドラマの幕開けでございます。
制作陣の意気込みまで画面から伝わってくるようで、本当に良かった。

 …とは言っても、放送から何日も経って、
 自分の中で感想を温めている間に敢えてblogに書かずともよいか;という気に…

 とにかく、倉持さん好き(笑)
 あの地に根を張った感じが…

   きっと、これは「倉持岳志の物語」ではなく、
   「”INACCESSIBLE”に挑んだ者たちの物語」なのだと思う。
   だから倉持さんが単独で常人ならぬスーパーパワーを発揮するわけでもなく、  
   近年(求められてきた)の役に比べると、
   周囲の人々と同じ地面に立っている感じがする。
    (ただ、見据えているものは厳しく、遠い地平なのかもしれないけど…)
    私には、その人格が今の木村さんと矛盾なく共鳴している感じがするのは
     すごくすごく嬉しかったりする。
  
   リアルタイムでは見られなかったけど、
   初回二時間余りを見ながら、見た後も震えるところがいくつもあった。

   それだけに、音楽がな~~…うるさい。
    というゴイケンを公式BBSに書かせていただきましたv

   ジャイさんor音楽監督さんは音楽だけが音だと、
   鳴っているだけが音楽の姿だとはよもや思っているまい…よね?

    今の人々の心を打つという、壮大な思いが遂げられますように。


  …って、第二回あさってやんけーΣ(´Д` )
 
   

それは昨日のこと。
アマゾンさんで予約注文したブツ×2がいつまでたっても届かないもんで、
「なにやっとんじゃオノレはぁ~~~♯」
  とばかりに発送状況をチェックしたところ…

 …料金未済…( ´,_ゝ`)

今日、行きつけの本屋さんにて入手してまいりました…フッ…
はじめて本屋さんで手提げ紙袋もらった…そう、このズッシリ感だぜっ…

------
 で、先程どちらも見終わり読み終わり。
 もうね、ボーッとしています。胸がいっぱいになっちゃって。

 最初に「ENDLESS」の方を、何故か後ろから見ていきました。
 撮りおろしの木村さん、特に野口氏スタイリングのが、もう!
 
  とっくのとうに降参はしていたつもりなのですがw、びっくりした。
  …あまりの私の鷲掴まれっぷりに(笑)
  
  その衝撃のまま、前へ前へ。
   捲るたびに、その時(「時代」と言っていいくらいの時間)を、
   そしてその瞬間をこれ以上なく感じ、生き切っている様に目眩がした。

  閃光まみえる真剣な闘いが、そのまま獅子同士の戯れ合いに思える。
    
 それから、「開放区2」。
 私は、木村さんは言語化するより体現化する能力がズバ抜けてる、
  と思っているけど、…なんといったらいいか…
  「言葉」それ自体が木村さんの気配や匂いや、意思や意志をこんなにも
   帯びている、血肉の言葉だったのかと、またびっくり。
   思考さえも、生命力に満ちてしなやか。
   そして、時を重ねる<=生き直す>たびに、健やかさが増している。
  
  私は、今の木村さんが一番好きだ。
   今まで、写真を見て「おぉ、この表現好きだ…!!!」とは
   幾度となく思ってきたことだけど、
   先にあげた「ENDLESS」の、野口さんスタイリングの写真。
   初めてかもしれない、木村さんの写真で「痺れた」と感じたのは。

 途方もなく強く、優しく、深く(そしてユーモアのある)おヒト。
  (たまに「はぁ!?(´Α`;)」ってときがあるけどな!)
  …「ありがとう」、というのが、読後最初の感想。

   今は最初の余韻のなかでふわふわ遊んでる状態だから、
   細部は思いたったら書けるといいなぁ~~…ふぅ…

 >HTさま、師匠!!
  今日買って良かった!
  本屋での購入、背中を押してくださってありがとう(´μ`*)

 

  

 
今日はお昼にHTさまと交信をして(笑)
すぐさま本屋に直行いたしました!

 (本日秋分の日だったのね~~道理で肌寒いわけだ!)


こういうファッション誌は全然買わない性質なので、
ただでさえ怖気づくのに縛られた分厚い雑誌…うーん…縛られてる中に木村さん…
(は?)
開いてみたら、いつまでも目次が出ない!広告!エンドレス・ハイブランドの広告っ!(だからどうした)


 んで、ファッションページの木村さん。
 万全の布陣で遊びたっぷり男っぷりでごちそうさまです。

  やっぱり「手」がのぞくとしっかりした男性の手・指・手の平・手の甲。
  使いこまれた、嘘のつきようがない証にほれぼれいたします。

  それから、ファーのついたミリタリージャケットを纏った一枚。
  華やか、あでやか、それでいて平静なまなざしを向ける人。
  まぁ、普通の人ではあるまい。
   HTさまがおっしゃっていて「なるほど、そうだな!」と思ったけど、
   確かにファーを纏っていて端正さを出せるって、凄い。
   どっちにしたって際の人であるのに変わりはない。

  それにしたって、この写真の人たちが向ける眼差しは何だろうと思う。
  私にとっては、それはいつものことなんだけれど。

   どの人も、(色んな意味で)生っぽい。
   木村拓哉氏というタレントさんが衣裳として着て・脱いで・着て…
    っていうプロセス、実際に「撮影」として必要な作業が想像しにくい。

   その代わりに、「写真の中の人」が、その服を着て、
    胸ポケットから煙草を取り出すしぐさ、頭を掻いたり、
    果ては一緒に写る女性と愛し合ったり、
    「その人」の物語が異様に想像しやすいのですよ。
  
   それは、私が木村さんという素材をそういう観点で見ているから、
    というのも凄くあると思うのだけど…
  
   こちら側に「伝える」という、凄まじい才と念。
   そして膨大なフィルムで交えてきた凄絶な遊戯。

    そのどれにも全身で挑んできて、現在がある。
 
   これからも、そういう出会いが木村さんにいーっぱい来ますように。
   そして、私がたくさん見られる機会にあずかれますようにv

  あっ、ちなみに、ジル・サンダーを纏う人の物語は想像できませんでした…
  そしてまんまとロンドンに行きたくなった(ふっ)
    



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