「思い出トランプ」向田邦子
なぜか今ごろ。買っておいて引き出しの中にしまっていたらしい。

暮らしを、生活をくまなく知っているひとの文章。
「ライスカレー」の時代の香り。
昭和の大人。親と子。男と女。


美文調ではないけれど、
その分実直に、かつ唯一無二の鮮やかな描写の手が緩むことはない。

まんが・すき

2010年5月5日 memo
不覚にも古本屋で泣きそうになる。
純粋な人だなぁ。大好きだ。
さんぽさんぽ
さんぽさんぽ
さんぽさんぽ
今日は本当の散歩日和。

浮かれて写真を撮ったのですが、まさかのHTさまをパクリ!?(笑)
す、すいません…なんか;

段々と緑が青さを脱いで濃くなっていくのに対比するようにvividな色合いの花が増えてきて、霞がかってけぶるような淡さはいつの間にかひいている。

藤(棚)は好き。
遠くから眺めるのも、藤枝の思いもよらない捩じり方を観察するのも、
花の房から房へ行き来する蜂をみるのも。

やっぱり高貴な色と、人を夢のなかへ酔わせるような姿だなぁ。
花言葉のままに。


春日野の 藤は散りにて 何をかも み狩の人の 折りてかざさむ 
                   (by万葉集・詠人不知)

じぃっと、ベンチに座って藤棚を見上げていると、暫く経ってクチ開けてることに気づきました…藤に失笑されるわv

そろそろ芍薬の季節。
今日の月はかくべつ、強烈な引力だ。

私にとっては「緑の日」。
ある人にとっては「天皇誕生日」だった時の方が長いだろうし、「昭和の日」がいちばんピンとくる人だってたくさんいる。

そういえば私が小学校一年のときはその学校で牛乳パックが三角だった最後の年だし、先生のカンに触ってバケツ持たされたのもその時が最後だった。
妹弟は体操服がブルマだった時の話をすると物珍しそうに、いかにも昔話として聞いている。
(ていうか、どう考えても宜しくないだろ、あの服・・・)

そうやって時は矢のように過ぎて、次の瞬間には褪せていく。いつか過去になって昔になって、誰かに見つけられる時までは。

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「乙女」を振りまいてはばからないヒトがひどく(苦手に果てしなく近い)「嫌い」だと、最初に思ったのはいつだったか。
 究極まで言ってしまえば目障り耳障りを伴う忌避感。
そういう感覚ごと楽しめよといつか人に諭されたけど、たぶん克服できないなら今はその弱点のままでいい。

 この世の殆どの人には、「乙女」は目映くきらきらしい、光線を放って薄紅色に躍る清いものなんだろう。いろんなartistに描かれてきたように。
 だけど乙女を煮詰めると、私にとっては時に毒の花。
底抜けに残酷で、周囲に考えなしの臭気の軌道を辿るもの。
例えば桐野夏生の小説にでてくる娘たちのように。
 
 無邪気は必ずしも美しくあるべきことじゃない。
乙女であることの誇りをずうっと胸に抱え続けたオンナの行方は、ただただ見るに耐えない物体と思ってしまう。

少女は誰でもいつでも持っていて、ある時ほのかにに顔を出す。
(引きずっているとかではなくてね。)
 程度の差はあれ、「女性」をつくっていく一つの要素だとなぜだか思う。

・・・しかし、なぜに私はここまで乙女嫌いなのだ(笑)
前世が余りにモサモサしてて、乙女ちっく女子にク〇ミソにされて憤死したとか?

いまこれを書いていてちらと思ったのですが、もしかしたら乙女には内省が感じられないからかも。
少女はその感性で価値判断をしたり、時には人にどう見られているか気づいたり気にしたりするものだけど、乙女は没入してるイメージを抱いている、とか…?

ま、こう書いていることは、ぜーーーんぜん全く!意味をなさないただの戯れ言なんですけどv
 乙女と少女の違いなんてきっとないのだろうし、大差ない些末なこと。
書き散らしたとて、私の乙女嫌いがより確かに頑なになっていくだけのハナシなのだろう。

改めてそう思うと、自分に与える影響をよっぽど考慮しないと引きずられるのね、この作業って。
ヒマって怖いw

不定期開催・開店休業宣言をさせていただきたく存じます。


でも、多分今日明日には書くかもですが(笑)
書いたとしても気の抜け切った炭酸飲料みたいなことになってると思われますので、こんな辺鄙なところを覗かれる奇特な方がいらしたらどうかご了承くださいませ(´へ`;)

また気が向かれましたら、どうぞよしなに♪

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某所で確認させていただいた「YAMATO NEWS」。
とっても精悍で、やっぱり顔つきが蓮介さんじゃない(笑)
そして徳川さんと真田さんが似すぎているv

それから、古代兄弟の(若き日の?)ツーショット写真があるのですが、粗目画像では進くんが兄貴にうきっと抱きついてるようにしかみえないんですが…何故?(笑)
眼をすがめても真相はぼやけたまま…

ぴるるるる・・・

2010年4月16日 memo
ふと、此処にあるはずのない音が胸のところを通り過ぎる。
その在りかは大体にして実家のある田舎であることが多い。

天高く旋回する鳶の、朝ぼらけの中でくぐもっていても通る鳩の、竹やぶのどこかから聞こえる仏法僧の声。

一条の雲が空をわたる音さえ聞こえそうな風の日。

恋猫の、恋をする声。


すべてが過去のもので、今はすべてが私のなかだけにある。
例えこの瞬間に田舎に舞い戻ったところで、私がその音に遭えるかどうかは二重の意味で解らないのだから。

今はただ、空を裂いていく練習機の轟音だけが時折思い出したように空から落ちてくる。

花冷えなん?

2010年4月12日 memo
さぶさぶさぶっ…と若干キレ気味に呟きながら歩いてました。

春祭だとおもって小躍りしてたらコート着るのを忘れてしまって…
今日ばかりは標準装備の肉襦袢も味方してくれなかった(泣)

何を考えても「寒い」が邪魔してくる…かくなるうえは…ポトフを煮込んで煮込みまくってやる~!! (><)


春祭はチーリンさんも参加されるのね。
女優さん方との雰囲気が垣間見えるのが一番楽しみ♪
色々と夜空づいてる昨今、久しぶりにこの本を読んでみた。


不思議な世界。

地球で作用する原理などまるでお構いなしに、当たり前のように宇宙的に披かれ、慇懃に結ばれる短編たち。

宮沢賢治や、漫画だと「アタゴオル」に近いかな。


意味不明っぽい題は、この本のなかに収録されている「彗星倶楽部」から。

粗筋は「ある星で彗星を発生させる実験を試みた研究グループが忽然と消えた事件に関する刑事と研究者の問答」なのですが、割と硬質なのにふわふわしていて、結局のオチは付いてるのだけど、それはこちらの納得とは無縁の次元に在る。

「彗星」の含意するところは多層的で、あれこれ詮索することすらままならない…


タルホが見つけた「星」は、きらきら瞬く五角形でもダビデでも、人工衛星の映し出す球体でもなくて、きっとガラスの金平糖を鋭角の多面体にしたような、しゅんしゅん動く生命の塊なのかも。

当たることもあれば、生成することもでき、かんたんに姿をかえる星。
観測しようとしても、およそすべてを掌握することはできないのだから。


今日は理解することだけがわかることではなく、感じることを導にしてもいいのだと思いたかったのかな。


「わからないこと」を楽しみたいと思ってしまったら、タルホを読んでみては。
「???」と感じることは多々ありますが、とても綺麗な文章で具に綴ってあります。

ちなみに、稲垣足穂氏は野性爆弾のくぅちゃんにちょっと似てますv


…本日はシャンディー・ガフをやりながらのたくらお送りしました…
折角素面で書こうと思ってたのに…(´ε`*) (ホントかよ)


今の気持ちをmoonで表わしてみました。

…ここまでくると、ただの「もーーーん」だな…。

HTさまのお宅はたけのこなのですね…(´q`*)

今日は春キャベツとアンチョビのパスタを作ろう。
あしたは菜の花のおひたしを…じゃぁ柚子胡椒風味で(笑)


春野菜は水で洗う度、ざくざく切る度、油で炒める度に爆発する生命力にいちいち感動する。
なので、あまり味をつけるとそれを殺してしまいそうで…なるべくさっと整えて頂くのが好きなのです。

料理の出来上がりと一緒に片付け終わったら、とっても気持ちがいいもんだ♪


2010年4月7日 memo
木村拓也さん…

ご冥福を心よりお祈り申し上げます…

37歳は若すぎる…

捕手がいなくなって、キャッチャーマスクをかぶりながらホームベースへと歩いて行った姿は雄姿そのもの、今も焼き付いています。

あぁ…
<初めにことわっておきますが、アホなことしか書いてません。>


外側の人が見たら絶対に理解できないであろう「ど~~~~でもいいコト」がごく身内で流行ることがあります。
そしてお互い「アホだぁ!」とゲラゲラ笑い合うという不毛なコミュニケーション(笑)

特にkonynon家では父母筆頭に原始的な仕掛けによるアホ度合いが顕著です。


「バルス!」「目がぁ!」(@ラピュタ)は本気ジェスチャー入りで挨拶代わりだし。
ドアの隙間から相手が気づくまでエアー弓矢で狙う→気づかれたら逃げるという「原住民の急襲」
お茶を飲んでるときに他の人をよそに突然よぼよぼ同士になって時代を懐かしみ出すとか…

……

アホだという自覚は十分あったつもりなのですが、いざ書いてみたらそれを凌駕するアホ度合いだった…そもそもなんでこんなこと書こうとおもったんだろう(悲しきとりあたま)…


こういう流行はゲリラ的に起こるのですが、ごく稀にその感染者たちは「姿なき客観視」という怪物によって急速にココロが冷却されます。
それでも「無意識のコミュニケーション願望かな」と正当化して次々と新たなウィルスを発生させる感染者たち…
パンデミックが起こり得ないやまいであるということだけが、彼らにとっても唯一の救いであるといえるでしょう…

…to be continued…(嘘)

しかし何にしても、互いの笑顔をみて、同じことで笑うということは、きっと何らかの作用と齎すものだというのがkonynon(激あほversion)の所見でございますv

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書いてみたら色んなことにさいなまれそうな感じになってしまったので、眼がさめても後悔してたら隠滅します(笑)
↑明日の自分への覚書。




朔日駘蕩

2010年4月1日 memo
美容院帰りに遠回りして城址公園へ。

私の記憶の中では捨て仔猫の段ボールがいくつもあったりよぼよぼの孔雀や熊が濁った眼で睨んでくる憩いなき公園だったのですが、すっかりキレイにされておりました。

水仙と椿と桜とパンジーと、何にも浸れないような目が回る雰囲気だったのですが、さすがに1.5分咲きの桜の下でビールあおってるおじさま方を見てると納涼気分が味わえました。

この近所は学校が集まっていて、入学式の辺りに2kmの堤防いっぱいに桜が満開になるので、必ずクラス写真はそこで撮るのです。
花散らす風がすこしでも空気読んでくれますように。

もっと爛漫な季節になれば、幼稚園や保育園の児童が集団お散歩を見かける機会に出くわすこともあります。
その中にレンゲソウやシロツメクサでつくった花冠や指輪を嬉しそうにつけてるおしゃま~vなオンナノコがいると、微笑ましくもあり。

植物も女の子も変質者も浮つく、陽光ふりそそぐ春の朔日。

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HTさま

もう一度前の記事読み返してみたら懐古っぽかった(笑)
体感していない私にしても、キレイに仕立てて一筋縄で結論付けられない時代だと思います。

大して今は、やろうと思えばメンドクサイことに囚われることなく、そして時空を飛び越えて存在することができる。
だからこそ、「ミソク○ごっちゃ」になりやすいし、自分の定規を表明するのに勇気が要らなくなってくるような気がするのです。
(別の層に触れることを楽しみにできなくなってしまうというか…)

これは、私が「ヲタだから良いじゃん、あなたも解ってくれるデショ?」(=なんでそんなこと言うの?"その通り"っていうまで教えてあげる!!)みたいなノリにものすごく抵抗感があるがゆえかもしれませんが…(笑)

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ by茨木のり子

ってことですね(笑)
細々やっているといっても、一応人目につくところで駄文さらしちゃってますから、気をつけます(笑)

聖なる黒夜バンザイvです


そして「サブカルミーハー」の創始者(爆笑)
MAYUKOさま

あはは!
"造詣が深い"なんて、MAYUKOさまに言われたら出るもんもでなくなりますよ~(笑)
でも、そんなこと言われたの生まれてはじめてなので、折角ですので調子に乗らせていただきますヽ(^o^)丿

楽しいことや感動したこと、どうにか示したいなぁと思ってコトバは増えていくものだと思うのですが、それ自体に固執して酔っている状態はものすごく不快なので、本当に人の振り見て…だと、言い聞かせてます(笑)

それ以前に書き終わってから「誰が見て得すんねん;」と落ち込んでからボタンをクリックすることもあったりするので、今に感謝して尚更楽しいこと、心動かされるものに貪欲に生きていく所存でございます♪

これからも鮮やかに毒のある、とっても楽しい「独り言」が拝見できますように!

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わたくし、ついに「龍馬伝」通算視聴時間5分(OP含)を記録いたしました!
多分更新することは暫くないと思いますが♪

「龍馬がwildになります」って…まじですかぁぁ…(笑)

私にとっての龍馬の魅力って、磊落でありながら快活で、そして自分の既存の考えさえも軽々と捨て新しいものに飛びついてしまえる、それこそ陽性ミーハー的なところも在るのです。
主演の方はそういう性質とは正反対の処にいらっしゃるように見受けられるし…

新しい龍馬像ねぇ…一寸、わたくしには意図がわかりかねるかも。


そして衝撃の勝海舟をMAYUKOさまブログで知る(笑)

私は龍馬よりも、どちらかというと勝海舟や高杉晋作の方が興味深いタチでして。

「海舟座談」
氷川版の海舟座談から摘録した話や、弟子の視点も入っていてかなり面白い。
なによりバリバリ江戸弁口調で、なんでもないことのように大事を語ってしまう人柄あっての数々の大仕事だったのだなぁと感動してしまうのです。

醒めているんだけど、現実の雁字搦めから逃げないずに逆に搦め手から持っていく。
どっちかというと、こちらの方が説得力滲ませるの大変なんじゃないのかな…

…私には言う資格もなかったのを忘れていた(笑)

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しかし木村さんのこと触れずじまい…

もう木村さんの面差しが葉月社長になりきった頃だろうか。
あの変化はかなり凄いと思うのです…ていうか、何故にあそこまで変われるの?
たまにうろたえます(笑)


その、高貴なるL。
昨日は庭先で収穫しておいたローリエ(月桂樹・笑)の葉がきっちり乾いた記念で、ちょっと贅沢なカレーライス。

弟1号の小学校入学記念で植えた月桂樹は軽々と塀の丈を超えて、ゆるぎなく固く葉を茂らせ枝を伸ばしている。
剪定するときは葉を取るとき以上に枝から強烈な香りがする。
あの硬い枝に剪を入れるのは誰かの骨を断つようでなんだか妙な気持ちになってしまう。


月桂樹といえば、「アポロンとダフネ」の神話(だからかw)やミュシャの「月桂樹」という作品。

日本人てミュシャ好きやな~とぽやぽや思っていたのですが、なんてことはない、この作品とて掛け軸の表装手法"一文字"にインスピレーションを得たものだった…

日本美術に大して造詣が深くなくても成程と思ってしまうのよね…遺伝子にでも記憶として組み込まれてるのだろうか。不思議。

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葉月蓮介さん初お目見え。
あらためて凄い字面だなぁ…
蓮、といえばどうやっても仏教における智慧の慈悲の結実でございます。
名を体であらわすような植物性のヒトではないとおもうけれど…

そして何を隠そう、木村さんの演じたなかで「蓮」を連想したのはかのshitaoさん。
血の池に咲く蓮の花、てな具合に。(あっ、また沸いてきた…)
想像(妄想ともいう)ではキューピットに射抜かれたように脳内麻薬フルパワー☆というよりは愛染明王の化身のようになるのかなぁなんて(笑)

しかし親はぜんたいどんな思いで「レンスケ」なんて付けたんだ(笑)

そして月といえばシリーズ♪
今作は中国語圏から林志玲さんが参戦されるということで、
鄧麗君「月亮代表我的心」
 http://www.youtube.com/watch?v=51xS4yXbryc
 これは「あなた、月をみて」といっているけれど、「月」があなた、なのね。

そして勿論これも。
Ella Fitzgerald 「Blue moon」
 http://www.youtube.com/watch?v=4218R-gBmts

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MAYUKOさま、HTさま

いろんな興味深い映像、機会に乗じて勝手に拝見しております…申し訳ないです♪
当たり前のようになっていますけれど、本当にネットって怖いくらい凄いモノですね…

ただ、お二人が確かに嗅ぎ直しているようなその時の空気や香りは同値には感じることができてないのだろうなぁと、意味不明な悔しさもあり…(とってもおもしろいだけに・笑)

淫靡、退廃、雑多…簡単に形容できない有象無象が自分で居場所をきりひらき、それぞれに光や色を発していることが許されていた瞬間が確かにあって、そして層と層には不思議な流儀があったいう印象。あくまでもイメージ(笑)

経済状況に変化があると時代の気分・空気も面白いくらい大きく変わっていきますね。
いまは「混沌」というコトバがぴったりですが。
私はこれからの時を、おおっぴらに楽しむことができるだろうか…不安の方が大きかったりする今日この頃。

脱力…

2010年3月29日 memo コメント (2)
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…………………

消えたぜ…真っ白にな…

大風一過…?

2010年3月21日 memo
大風一過…?
今日は彼岸でお寺さんへ。

真っ赤な椿が枝と地面に咲き乱れ、桜とみまごう大きな梅の木が綻び始める。
足下では蕗の薹が石を押しのけおしのけ、久しぶりに柔らかな薄緑を見て不思議な気持ち。

この混沌とした阿鼻叫喚こそ春のはじまり…♪


ん〜相変わらずあほや♪


3,2,1,…ポカーン

konynon は こうしん を わすれた !  (pokemon風)


銀杏…

2010年3月10日 memo
鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れてしまった…(泣)

その地球の植物史を生きたイチョウが、その存在意義を誇っているようにあの場所で、鎌倉の、歴史の目撃者として在ることがすごく好きだったのに。

仰いでは公暁の心情に思いを馳せたことが完璧な過去の思い出になってしまった。

悲しい…

Flower of Life

2010年3月9日 memo
…って、昨日洗車した車のピカピカ具合のお話なんですが;

止む気配のない雪が地面でやわらかく重なり合って、やがて全ては真白に。
朝日を浴びて世界が溶けていくさまを見ているのが神秘的に感じるなんて、やっぱり変態なのかな(笑)

…というポエマーtimeはおいといて。

明日の朝、おそらく凍ってるだろう路面が怖すぎると思いながらワイパーを上げておく深夜也。
妙な記事をあげてしまったので自分でお口なおし。

彗星でない、誰にも汚されない明らかな綺羅星。
japanese jazz pianistでいうならそれは上原ひろみさんだと思う。

「XYZ」
 http://www.youtube.com/watch?v=G6pgM-NVfWg


GIFT-天賦としか言いようのない才が煌めいているときの、その人の愉悦の表情がたまらなく好きだ。
スケルツォの速さ、リズムの緩急なんて技術的な難度はもう問題ではない。
なぜならそれは伝えるべきことではないから。

ピアノの審査をしていた方が言っていた。
「なんとかコンクールがあったとして、その1位と2位を明確に判断し優劣を指摘できるのがプロの批評である。アマチュアはよく"盛り上がれ俳優"にほだされてしまうから。」
「それでも、音楽はだれにも平等なものであり、垣根があってはならない。クラシックマニアにも、初見者にも強く伝わる演奏ができるものがプロのピアニストなのだ」

それ以来、私なりのプロとアマの線引き基準にもなっているのですが。

ちなみにXYZはラムの入ったカクテル。
文字通り、「これで終わり」とか、そういう意趣のモノ。

確かに↑の曲も切れ味があるわりになんども行ったり来たり。
酔っぱらってるのかな?(笑)




のどけからまし?

2010年3月6日 memo
のどけからまし?
早咲きの河津桜。
札幌在住の祖母いわく、桜前線が到達する5月には葉と花が一遍に咲くので「春の霞」のような情緒はあまりなくて残念らしい。
(黒くてすばしこいアイツ☆が生息しないので、そこは羨ましいですけど)


ほげーとしながら「花」で思い出した一節。
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
                           録:古今和歌集、詠み人:在原業平

"桜"という単語を使っているものって実はあまりなくて新鮮だったりするものですが、いま桜を仰いでしみじみ思い致してるのに自分で気づくとちと恥ずかしかったりしますけども。


そんな業平ら天才歌人、人呼んで「六歌仙」をそれぞれ判じてみせた紀貫之の評論、特に対業平部分が面白い。
「…ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。…」
                           録:古今和歌集 仮名序 編著:紀貫之

 「要するに雰囲気だけじゃんw」みたいなことが言いたいのか、貫之の上から目線がツボにはまるのです。(しかも小野小町にはちょっと甘い)

けれどうまいこと言うなぁ…(笑)こと「評論」などという分野に関しては、言葉選びや感覚など個人の感性に拠るものなので、あまり古今で差がないものなのかも(笑)

「評論する」ということは、対象物を解剖して見せるということ以上に、えてして己の器の広狭・硬軟や感性、品をだだ漏れさせてしまうという側面のほうが興味深かったりするものでございます。


ということで私めもカシスオレンジの酔いに任せてひとつ。

ぺぷしのcmで「got to be real」を歌ってるコーダ嬢は、周りで踊ってるペットボトルのフォルムとのシンクロ率が割と高い。

…お粗末さまでしたー♪(お茶を濁す)

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