安堂ロイド 第5話。


知らず知らず息を詰めて見ている。
本格的にSF的攻め方になってきた。
扱ってる題材だけじゃなく、語り方や文法含めて…

見ている人にわかりやすく、ではなく、いかに刺さるものを創るか。
ただでさえ尖った表現の人たちが集まって、同じ志のもとに身を削っている。


そして、話自体の感想というより疑問。
もし、葦母の推理が正しかったとして、ロイドの伝言の主が黎士だとして。

彼が(彼のまま)生きて帰ってくるのなら、それは彼の辿り着いた「真理」と矛盾しちゃうんじゃないの?

そしてもし、黎士が麻陽を決定された未来への一矢とするのならば、それはアンドロイドとその創造主たる人間の関係を変えることなのでは?

彼女は技術や理論はすっとばして、今目の前で起きていることから思いもかけない手を導き出す。


例えば。

「黎士が戻ってくる」とは、麻陽と過去を共にしたあの人間そのものではなくて、ロイドがその魂の完全なる継承者となる、ことなんだとしたら。

麻陽がロイドと 愛し合うという歴史が生まれてしまったら。


100年後のモノとしてのアンドロイド、その使用者としての人間という関係性は根本的に変わってくる。



…うわーんわかんないよーー(*_*)

速感と言いつつただのウザ語りになってしまったぁ!

コメント

HT
2013年11月11日19:55

>>麻陽がロイドと 愛し合うという歴史が生まれてしまったら。

その可能性も考えてみたんですけど…。
私の常識が邪魔をする(笑)
ラストは『レオン』か『ブレードランナー』か。
はたまた想像を超えた斜め上のラストが待ち受けているのか。
結構昔はSF読んでたんですけど、これでも…でも、植田P斜め上の人だから。
もしかして麻陽は植田P?(麻陽の中の人にはなはだ失礼w)

konynon
2013年11月12日0:37

>HTさま

うーん・・・やっぱりか(笑)
自分が知ってる布石でいくと、どう考えてもロイドに哀しい未来しか見えなくて・・・(T_T)
無理やりにでもロイドに報われて欲しかったのかもしれません(笑)

でも、映画ではなくテレビ、しかも日曜9時ドラマで見せていくということは、
単なるカタルシス・「悲劇的浄化」で終わらせないということじゃないかな?とも思う。
何らかの希望が・・・それがいかに微かで危うくとも。

それにしても、定石が斜めに裏切られてく快感たらないですね!
今・この時代だからこそ叫べる声。
・・・でもあと5話しかないぃい~!(’ へ`;)