気がついてみれば一年の締めくくりに入ろうというところ・・・
朝の空気が少しだけ顔に刺さってくると、
いよいよか、という驚きと焦りがいっぺんに飛び込んでくる。
それを押し隠しながら、明け方に雨が止んだ通りのどこかから金木犀の香りにでくわして、
その嬉しさを胸いっぱいに吸い込んで歩いていく。
あやうい季節の境を進んでいくようなわくわくした気持ちは、
春の訪れのときとは少し違う。
鼻がつんとする寂しさと覚悟の予感。
そして硬くなっていく光が砕け、街中に広がるあの嬉しさを感じることのできる季節が。
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先週のわっつ。
(←さすがにネタが古いが、気温も下がってきたしまだニオイはしないだろう・・・♪)
このお方は本当に、とてつもなく健全な人だなぁと思う。
なんというか、魂レベルでもともとそうであり、
なおかつ自分の意志でその健全さが精錬されてきた、という感じ。
そして、つくづく「醒めた」人だとも思う。
どんなに照明や衆目で焼けそうになっていても、祀り上げられても、
反対に貶され批判されるときであっても・・・
周囲がどんなに波立っていて、その只中にいたとしても、
「ブレない」でいる。
例えば、酒。
周りがどんなに酔っていようと、乱痴気騒ぎをしようと、
その渦中で「素面」でいる感覚。
例えば、夢。
他人の夢を体現し、その中で「生き」て、
それでいて、それが「夢」だと自覚していること。
どんな思考回路になれば、あんなに自分を客観視できるんだろう?
そう行動できるんだろう・・・?
そこが、私が一番、木村さんを見ていて謎だと感じるところかもしれない。
それが「仕事」だと割り切ってしまえばそれまでだけど、
もしそうだとしたら「夢の中の住人」としてやっていくことを選んだほうが楽だろうし、
反対に「夢」を見ることさえ嫌になっていたかもしれない。
あの絶妙な「醒め」加減がなければ、
夢の中の「王子様」、「ヒーロー」たちは血の通わないただの紙芝居の登場人物だった。
私が木村さんの芝居で好きなのは、
どのキャラクターにも生活感があること。
一挙手一投足にその人間の血肉を通わせているところだ。
そのやり方が、なんというか・・・・通り一遍の「作為」を飛び越えて伝わってくる。
私は、そういうリアルな芝居全体と、相手(役)を否定しない対峙の仕方がすごく気になる。
だから、役者仕事が特に好きなのです。
(具体的に、どこがどう、とか分析はしないですが・・・)
今度の月9はコメディータッチということもあり、
特に心配も何もないのですが・・・
個性バンバンな役者さん方が出演されるということで、
木村さんの「受ける」芝居がたくさん見られるんじゃないか、と期待しています♪(涎)
コメント
秋と春。
例え気温と湿度が同じでもどうしてこんなに光の見え方が違うんだろう?
…と思っていたところでした。
konynonちゃん言うところの<覚悟>は景色の見え方まで変えてしまうんだろうね。
>他人の夢を体現し、その中で「生き」て、
それでいて、それが「夢」だと自覚していること。
後半の<相手(役)を否定しない対峙の仕方>にも繋がると思うのだけど、キムラは常に周囲(後に映像で見るであろう観客・視聴者含め)の存在を意識している、ように見える。
自分だけの解釈・世界に留まることを慎重に避けようとする姿勢がそこにあって、
だから彼の目は決して理性的であることを失わないのかもしれない。
そういうお芝居をどう見るか、人それぞれだろうな、とは思うけど、私は大好きです。
そんなキムラだから「受ける」お芝居は最高だよね。
たくさん見れますように…とお祈りしとく(笑)
秋と春、どちらも好きなのですが、
秋のほうが感情が揺さぶられる感じがするんですよね。
春は、湧き上る感じ。
この違いは、受け皿=私の問題なのか、景色の側の変化なのか。
答えなんて出しようがないけれど、それでも「見え方」ってかなり大きいと思うのです。
時が人を変え、人が時を感じる・・・
その繰り返しは絶えず起きているんでしょうけど、それがガラリと転回する瞬間を、
人は季節と呼ぶのかも。
お芝居について。
私は、いろんな人がいていいと思う。
木村さんがやってのけていることが、私の目には同時に成り立たない不思議に思えて、
その驚きが尽きないんです。
もちろん、ほかの俳優さんの演技を見るのも好き。
そして、木村さんの演技が誰かに認められようが貶されようが、
もうその役を木村さんは「生きている」。
(大体、本当にソイツが見ているかが怪しいもんですがw)
好きなものは好き、いやだったら見ない。
それだけなんですけどね(笑)
私も、全力祈願(^人^)
コメントありがとうございました~!