ゆめまぼろしのごとくなりけり
2012年9月5日 t,k, コメント (2)UOMO。
硬い床にシャッターの下りる重い音が響く。
風が緩く吹いて、白い布にひだをつくる。
ふと窓枠を暖めていた光が消えて、佇む男の半身に影を宿した。
そんなひと時を感じさせる、今回の「portrait」。
私は木村さんの仕事の中でも、特に役者仕事と写真の仕事が大好きだ。
それはある意味、木村さんの表現そのものに目を惹かれるのと、
写し取る人との関係上に出来上がった作品が面白いから。
それが私の好きな人ならなおのこと。
上田さんの写真は本当に美しい。
自分の感覚と被写体にとことん敬虔でなければ、あんな写真は撮れないと思う。
すべてのものが呼吸する写真。
その中に収まるすべてがその時を生きている。
上田さんの銀塩写真の肖像の一人、としての木村さんは、
けして躍動はしていない。
瞳になにかを湛えて、「こちら」ではないどこかを見ている。
私が見入ってしまうのは、顔というよりすべての部分、あるいは全体。
影の中のグラデーション、光の波。
それをつくりだす被写体の骨格、肌の質感、衣擦れの音。
私が想像するまでもなく、分かってしまう写真だ。
その後ようやくこちらの想像力が追いついてくる。
これは木村拓哉、としてのポートレートなんだろうか。
私には分からない。
けれどこの写真はまぎれもなく、
ある人間のその時を封じ込めたもの。
息を吹きかけるまでもなく、写真の中の光は揺れ、彼はその行方に目を眇めている。
・・・久しぶりすぎて書き方忘れた\(^o^)/
硬い床にシャッターの下りる重い音が響く。
風が緩く吹いて、白い布にひだをつくる。
ふと窓枠を暖めていた光が消えて、佇む男の半身に影を宿した。
そんなひと時を感じさせる、今回の「portrait」。
私は木村さんの仕事の中でも、特に役者仕事と写真の仕事が大好きだ。
それはある意味、木村さんの表現そのものに目を惹かれるのと、
写し取る人との関係上に出来上がった作品が面白いから。
それが私の好きな人ならなおのこと。
上田さんの写真は本当に美しい。
自分の感覚と被写体にとことん敬虔でなければ、あんな写真は撮れないと思う。
すべてのものが呼吸する写真。
その中に収まるすべてがその時を生きている。
上田さんの銀塩写真の肖像の一人、としての木村さんは、
けして躍動はしていない。
瞳になにかを湛えて、「こちら」ではないどこかを見ている。
私が見入ってしまうのは、顔というよりすべての部分、あるいは全体。
影の中のグラデーション、光の波。
それをつくりだす被写体の骨格、肌の質感、衣擦れの音。
私が想像するまでもなく、分かってしまう写真だ。
その後ようやくこちらの想像力が追いついてくる。
これは木村拓哉、としてのポートレートなんだろうか。
私には分からない。
けれどこの写真はまぎれもなく、
ある人間のその時を封じ込めたもの。
息を吹きかけるまでもなく、写真の中の光は揺れ、彼はその行方に目を眇めている。
・・・久しぶりすぎて書き方忘れた\(^o^)/
コメント
>役者仕事と写真の仕事が大好きだ。
それはある意味、木村さんの表現そのものに目を惹かれるのと、
写し取る人との関係上に出来上がった作品が面白いから。
同感。
あの写真を見て、ああ…拮抗してるな、と感じたんですよ。
Konynonちゃんが書いてる通り上田さんは撮る行為に全身全霊を傾けている。
被写体の木村拓哉もまた、同じ敬虔さで撮られることに集中している。
美しいのと同じくらい凄みが伝わってきたんですよ。
ある人間のその時を封じ込める…大げさかもしれませんが、木村拓哉という人の人生の
その瞬間=ある一部をファインダーを通して切り取ったような。
だから惹かれるし身がすくむような気がしてしまうのかなぁ、と…。
こちらではとんとお久しぶりでございます(^△^)
HTさまにうなずいていただけるなんて恐悦至極でございますわ!!
以前山崎努さんがおっしゃったように、
木村さんはあの仕事をするかたがたの中でも特に「瞬間を刻んで」生きている人だと思う。
だからこそ、瞬間を封じ込める写真の中では濃密なものになると。
でも不思議ですね。
瞬きをするよりあっという間の時の断片を見ているはずなのに、
彼(ら)がともにした時間そのものを感じることができるのだから・・・