(大分前になってしまったけれど、自分の気付に書いておく!)
春も盛りの4月上旬平日、HTさまとお出かけ。
大きな風に揺れる桜の樹を横目にまず向かったのは上田義彦氏の写真展「Materia」。
http://gallery916.com/exhibition/materia/
硬く白い空間にかけられた大判の写真群は、屋久島の光を浴びて影を織りなす森の肖像でした。
たっぷりした間隔で配置された写真は、
ちょうど見る人の腰のあたりに根を走らせていて、
上田氏が森の中を高揚しながら分け入っていった、
その足下に敷き詰められた枯葉の感触や、鳥のさえずりを追体験する感覚になる。
そして一歩後ずされば一面の白い壁、隣の工事現場の音、
そんなものもすべて森の中で聞いているような不思議な感じ。
同じ森の写真でも、「QUINAULT」は森全体にピントを張り巡らせた、
行き詰まる森の生死の姿を感じたのに、
(もちろん、影のなかにも深く色が滲む上田氏らしいテイストはあるのだけれど、)
この写真展で一番感じたのは、上田氏と森の共鳴。
撮影者の息遣いと森の呼吸が写真の中に封じられて、
樹々を揺らす風になっているようで…
本当に御馳走様な空間でした。
そして、そのあとは旧芝公園へ。
お昼時だったので、OLさんや会社員、子供連れがいっぱい。
裸足で筑地を登る子供たちの嬌声も、桜の花びらにこぼれる陽気も、
すべてが剣呑とした不思議な空気に包まれていた。
私たちもご他聞にもれずベンチに座ってまったりタイム。
どれくらいまったりだったかというと、鳩ぽっぽを眺めながら
「…鳩とかスズメとか、狩猟民族は野鳥食うけどうまいんかね…(意訳)」
な話をしていたという…
それからそれから、
HTさまに連れられて、エスパス ルイ・ヴィトン「Cosmic Travelers」へ。
http://espacelouisvuittontokyo.com/ja/
(しかしそれにしても太っ腹な装丁のパンフレット?であった…)
そこでなんと!佐藤充氏ご本人が制作中の現場に立ち会うことができました。
壁にはすでに来訪された際に書かれた鉛筆描きが縦横無尽に走っていたり、
モデルにされていた画廊のオーナーの絵が何パターンも描かれていたり…
一番印象的だったのは、
制作に没頭していた兄ちゃんみたいな佐藤氏にモデルさんが「動いていい?」といった後の
「ダメです。」
という絶対零度の響きと、
紙を精緻に切り抜いて切り抜いて作った塩保朋子さんの作品。
佐藤氏の作品はどれも偏執的に隙間を満たし、際限なく枝を広げる精神と肉体の産物(最中の作品は肉林状態であった…)であり、
塩保女史のその作品は、昇龍のような火焔のような、
はたまた胃液の中を生きる細菌のようなうねる「生命」そのもの。
自分の中にある「何か」に突き動かされて生み出されるモノ。
私はその得体の知れなさや、逆に明るみに晒す蛮勇に、そしてそれを生み出すエネルギーに圧倒されることを
たまらなく望んでいるのだと、表参道のカフェでHTさまと語りあいながらつらつらおもっていた昼下がり。
お別れした電車の中で、日頃の疲れとはまた別の、浄福感みたいなもので満たされた、本当にお腹いっぱいな一日でした。
春も盛りの4月上旬平日、HTさまとお出かけ。
大きな風に揺れる桜の樹を横目にまず向かったのは上田義彦氏の写真展「Materia」。
http://gallery916.com/exhibition/materia/
硬く白い空間にかけられた大判の写真群は、屋久島の光を浴びて影を織りなす森の肖像でした。
たっぷりした間隔で配置された写真は、
ちょうど見る人の腰のあたりに根を走らせていて、
上田氏が森の中を高揚しながら分け入っていった、
その足下に敷き詰められた枯葉の感触や、鳥のさえずりを追体験する感覚になる。
そして一歩後ずされば一面の白い壁、隣の工事現場の音、
そんなものもすべて森の中で聞いているような不思議な感じ。
同じ森の写真でも、「QUINAULT」は森全体にピントを張り巡らせた、
行き詰まる森の生死の姿を感じたのに、
(もちろん、影のなかにも深く色が滲む上田氏らしいテイストはあるのだけれど、)
この写真展で一番感じたのは、上田氏と森の共鳴。
撮影者の息遣いと森の呼吸が写真の中に封じられて、
樹々を揺らす風になっているようで…
本当に御馳走様な空間でした。
そして、そのあとは旧芝公園へ。
お昼時だったので、OLさんや会社員、子供連れがいっぱい。
裸足で筑地を登る子供たちの嬌声も、桜の花びらにこぼれる陽気も、
すべてが剣呑とした不思議な空気に包まれていた。
私たちもご他聞にもれずベンチに座ってまったりタイム。
どれくらいまったりだったかというと、鳩ぽっぽを眺めながら
「…鳩とかスズメとか、狩猟民族は野鳥食うけどうまいんかね…(意訳)」
な話をしていたという…
それからそれから、
HTさまに連れられて、エスパス ルイ・ヴィトン「Cosmic Travelers」へ。
http://espacelouisvuittontokyo.com/ja/
(しかしそれにしても太っ腹な装丁のパンフレット?であった…)
そこでなんと!佐藤充氏ご本人が制作中の現場に立ち会うことができました。
壁にはすでに来訪された際に書かれた鉛筆描きが縦横無尽に走っていたり、
モデルにされていた画廊のオーナーの絵が何パターンも描かれていたり…
一番印象的だったのは、
制作に没頭していた兄ちゃんみたいな佐藤氏にモデルさんが「動いていい?」といった後の
「ダメです。」
という絶対零度の響きと、
紙を精緻に切り抜いて切り抜いて作った塩保朋子さんの作品。
佐藤氏の作品はどれも偏執的に隙間を満たし、際限なく枝を広げる精神と肉体の産物(最中の作品は肉林状態であった…)であり、
塩保女史のその作品は、昇龍のような火焔のような、
はたまた胃液の中を生きる細菌のようなうねる「生命」そのもの。
自分の中にある「何か」に突き動かされて生み出されるモノ。
私はその得体の知れなさや、逆に明るみに晒す蛮勇に、そしてそれを生み出すエネルギーに圧倒されることを
たまらなく望んでいるのだと、表参道のカフェでHTさまと語りあいながらつらつらおもっていた昼下がり。
お別れした電車の中で、日頃の疲れとはまた別の、浄福感みたいなもので満たされた、本当にお腹いっぱいな一日でした。
コメント
PC復活したのでコメント書き込みます←w
あまりにも個人的趣味に走ったツアー(?)だったのでどーかと思ったけど、
楽しんでいただけたよーで本当によかったわ♪
上田義彦さんの写真はなんといいますか...とっても思索的でやんすね。
ゲツコイ開始前のananで上田氏の撮った木村、時々取り出しては眺めております(笑)
写真家の思索が被写体に反射される。印画紙の上に浮かび上がってくるのは、
写真家の目が見た被写体。
しかしそこには必ずなんらかの被写体の声が反映されている。
被写体が人間であろうと樹木であろうと。
上田氏の作品に、耳を澄ますと聞こえてくる<声>。
たまらなく惹かれます。
>自分の中にある「何か」に突き動かされて生み出されるモノ。
>私はその得体の知れなさや、逆に明るみに晒す蛮勇に、そしてそれを生み出すエネルギーに圧倒されることをたまらなく望んでいる
私も。
圧倒されたいですよね...あらゆる意味で。
そういうモノたちにうちのめされる感覚がたまらなく好きです。
...要はアテクシ達って単なるヘンタ(ry.
PC復活おめでとうございますー!よかった…!
HTさまの趣味にお供していると自分の趣味も満たせるのですわ~~ふふふ…
上田さんは本当に思索的な写真を撮られますよね…
私も「at HOME」見ていました。
厚く低く、小さく聞こえるパルスのような声が風にのって聴こえてくるのですよね…
これぞまさしく変態のなせるワザ☆