ここ一年の貧弱読書傾向を見るに、
 ひとつの事物-真実、事実と思われていることが、
 ただ単に「思われている事」しかないのだと、
 そういうことを考える本が多かった。

「アメリカ」がベトナム戦争をどう経験していたか。
帰還兵、捕虜、その家族、徴兵逃れの若者、国家としてのアメリカ、アメリカ人。
彼らが「ベトナム戦争」をどう語ってきたのか。目を逸らしつづけてきたか。
そして外から・現在から見た「アメリカ」像を崩しながら、生々しい個々が喘いだ時代を追っていく。
 どこまでも再分化され、危うい熱狂と郷愁でしか繋がれない神の国の民の物語。

「アメリカはこの戦争に勝ったのか?」
 帰還兵・捕虜の述懐、雑誌のイメージング、テレビの演出、映画、
 戦場写真、迷彩服、ヘリコプター、慰霊のモニュメント・・・

 それらすべてが「特殊戦争」を記号化定型化し、
  戦時中にはなんとかやりすごすために、
  戦後はばらばらになった「自分たち」の傷を癒すための方法になった。
 
本の中では個々の表象についてできるだけ多面的・具体的に文脈を解いていく。
ベトナムの大河のように底知れない流れの中に巻かれるのを自覚しながら、
それでも著者は冷静に綴っていく。

こういうのを読むたびに、「アメリカの異常」を思ってしまう。
そして、現実と、それに向きあわざるを得ない局面に置かれた、
この中にいる誰のことも「間違っている」なんて言えないのだとも。
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私が物心つくかつかないかの頃、
テレビに青白く、強く輝く流れ星が元気に飛び回っていた。
それが湾岸戦争の爆撃だと知ったのはずっと後の事。

 「すごくきれい」と思った自分は間違ってたのか?

人を否定したり肯定したり、拒絶や迎合を使い分けること自体を、
一段高いところから批評するなんて真似はしたくないし、きっとできない。

だからせめてできるだけ鋭敏に、素直に、自分の判断として経験を背負いたい。
誰かのせいにできるような解釈なんてくそくらえ、です。

コメント

HT
2011年12月12日15:03

おっ、お久。
↑のタイトルと紹介文を読んだとき脳裏に『地獄の黙示録』のワン・シーンが浮かんだ。
サーフィンしたいから、って理由でベトコンの基地をナパームで焼き払うアメリカ兵。

探して、読んでみます。
いつもサンクス!

konynon
2011年12月13日1:48

>HTさま

 こちらではお久しぶりです~v
「地獄の黙示録」も勿論!入っています。
 ただ個々の映画というよりも、そういう表象の流れの一つとして捉えています。

「ジャングルの緑に冒された狂気のアメリカ兵」というイメージングも、
「奴らは正気じゃなかった(=自分たちはまともだ)」と安心するための手段だったのかもしれません。
 
 お暇があったらぜひ読んでみてくださいまし!