例えば、美しい夕焼け空を見たとき。

そういう震えるほどの感動を、みなさまどうしていますか。

私なら、「綺麗。」と呟いて、しばらく見上げながら立ち尽くしてしまいます。
(一度、教科書のように電柱に激突した・笑)
そして、親しい人と「綺麗だったね…」と伝えあいたい。


やがて来る暗闇と、この世の終りを思う人もいるかもしれない。
キャンバスにその美しさを映しとろうという人や、夕焼け空の音楽を作ろうという人も。
それからどんなスペクトルが作用しているか、解明したいと思う人も。


昔々、田舎のえげつないイジメごっこの標的にされて帰った家路に浮かぶ空を見て、そんなことばかり考えていた。
そうすると、なぜかいろんなことを受け止められる気がしたから。
あんなに酷いことするコも、この空を見て自分と同じようにキレイだと目を奪われながら歩いているのだろうかと思ったら、いつのまにか大丈夫になっていった。

そういう「空」は、果てしなくいっぱいあって、そしてあまりに大きすぎて気づかれない。
それでいいかもしれないと思う、平日と休日の狭間。

「空が綺麗だ」というために、なんて人のやることは沢山あるんだろう。

コメント

HT
2011年1月8日8:22

あまりにも綺麗なものを見ると言葉を失います。
魂がすーと体から抜け出てその『綺麗』の中に溶け込んでいくような感覚。
年に何回かそういう瞬間があります。
一種のエクスタシーですね(笑)

しかしその後、必ず
「なぜ夕日は美しいのだろうか?」
「若葉に囲まれていると陶酔感を覚えるのはなぜ?」
・・・などと必ず無粋な分析をしてしまう自分がイヤかも(´д`;)

konynon
2011年1月9日0:33

>HTさま

時間が止まって、息をのむあの瞬間。

そういう時空に呑みこまれた時には、おっしゃる通りの恍惚とわけのわからん敗北感に襲われたりします。

自分が魅かれる、そのワケを探究する旅に出るもよし。
その時に、是非とも素朴で単純な「感動」も携えて行きたいもんです。