「横綱相撲」と読む…のか? (笑)

 
(HTさま、今頃ですがありがとうございますv ぐえっへっへ…涎)

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 "敵"を見定めること、己を究めること。

 そして、世界を披いていく。
  
 その様は、
傍観者や批評家気取りの人びとには、嫉妬の裏返しの「忠告」を受けるかもしれないし、
 他の華を真とする誰かさんには、劣等感と表裏一体の嘲笑を受ける時もあるかもしれない。

  でも、たいてい彼らの足は歩くことを忘れているから。


  望むことは、前に向かって進むこと。

  疾走できなくなったら、歩けばいいし。 
  キレイに咲き続けられなかったら、鮮やかに枯れてみせればいい。

 
  そして、いつか足が止まってしまう時が来ても、いつまでも心は駆けるように、躍るように。
  
  荷物は使える相棒がいいし、道行きは楽しいのがいい。と思う(笑)


   ほんとに、言うだけならなんとでも、妄想と想像と曲解でイケるんだけどね♪
  
 

コメント

HT
2010年9月15日16:16

>ぐえっへっへ…涎

ちょ・・・!!!!
Konynonちゃんまでヘンタイ菌に・・・アタシのせいだわ・・・ごめんなさいっ(嘘)

>疾走できなくなったら、歩けばいいし。 
  キレイに咲き続けられなかったら、鮮やかに枯れてみせればいい。

本当にそうだと思う。
私のアコガレの人たちは皆、年齢を重ねることを恐れていない。
その時その時も「その人らしさ」が全身から溢れてる感じで、
そういううつくしさを見るとまさにひれ伏してしまいそーになったりする。
なぜか皆、自分に素直だったりもする。
年齢とともにより身軽になってくのかもしれない。

>いつか足が止まってしまう時が来ても、いつまでも心は駆けるように、躍るように。

これ読んで芭蕉の辞世の句を思い出しました。
なんか・・・最後の最後まで凄まじいばかりの旅への執念と、
全てから解き放たれた魂の軽やかな彷徨といいますか・・・。
好きなんですよ、あの句。

konynon
2010年9月19日0:21

>HTさま

 もぅ~~~HTさまのせいでヘンタイ菌に罹ってしまいましたわぁっ(嘘)

 なんかね、諸々「ごくろうさまー」な感じにみえたというかなんというか…(笑)
 母親でもないしプロデューサーでもないのに、乙女は大変ですのねv


 最近の(ドコとはいわず)風潮の何が嫌って、「若い」ということへの崇拝?と「老いる」(or年を重ねる)ことへの強烈な忌避感。
 だから無理に「若い」姿は痛々しいし、年を経ることを恐れているのは悲しいと思ってしまう。

 
 今のままの人口構造だと、多分そのうち自然と、マジョリティになる団塊かその下あたりがオイシイ世の中になっていくんだろうなぁとは漠然と考えたりしますけれども(笑)、それとは別にわくわくしていたい。

 前に触れたモノと邂逅したときに、自分は何を感じるか。
 誰もが新しく遭遇するモノに、自分が何をみるのか。
 そして自分が眠った後、どんな朝が待っているのか。

素朴な・素直なうつくしさ…多分欲して掌中に収められるような代物ではなく、
 まして鏡に映る自分を見詰めていじくっていて手に入るものでもなく。
 自分の眼に心に何を映していけるかなのかなーなんて、考えたりしたもんです(笑)

芭蕉の辞世の句…「夢は枯野を…」ですね。私も大好き。
全然「老いて」ないですよね…。
こういう感触が、彼の人のいう「ロック」なんだと思います、多分(笑)