そろそろ芍薬の季節。
今日の月はかくべつ、強烈な引力だ。

私にとっては「緑の日」。
ある人にとっては「天皇誕生日」だった時の方が長いだろうし、「昭和の日」がいちばんピンとくる人だってたくさんいる。

そういえば私が小学校一年のときはその学校で牛乳パックが三角だった最後の年だし、先生のカンに触ってバケツ持たされたのもその時が最後だった。
妹弟は体操服がブルマだった時の話をすると物珍しそうに、いかにも昔話として聞いている。
(ていうか、どう考えても宜しくないだろ、あの服・・・)

そうやって時は矢のように過ぎて、次の瞬間には褪せていく。いつか過去になって昔になって、誰かに見つけられる時までは。

-------

「乙女」を振りまいてはばからないヒトがひどく(苦手に果てしなく近い)「嫌い」だと、最初に思ったのはいつだったか。
 究極まで言ってしまえば目障り耳障りを伴う忌避感。
そういう感覚ごと楽しめよといつか人に諭されたけど、たぶん克服できないなら今はその弱点のままでいい。

 この世の殆どの人には、「乙女」は目映くきらきらしい、光線を放って薄紅色に躍る清いものなんだろう。いろんなartistに描かれてきたように。
 だけど乙女を煮詰めると、私にとっては時に毒の花。
底抜けに残酷で、周囲に考えなしの臭気の軌道を辿るもの。
例えば桐野夏生の小説にでてくる娘たちのように。
 
 無邪気は必ずしも美しくあるべきことじゃない。
乙女であることの誇りをずうっと胸に抱え続けたオンナの行方は、ただただ見るに耐えない物体と思ってしまう。

少女は誰でもいつでも持っていて、ある時ほのかにに顔を出す。
(引きずっているとかではなくてね。)
 程度の差はあれ、「女性」をつくっていく一つの要素だとなぜだか思う。

・・・しかし、なぜに私はここまで乙女嫌いなのだ(笑)
前世が余りにモサモサしてて、乙女ちっく女子にク〇ミソにされて憤死したとか?

いまこれを書いていてちらと思ったのですが、もしかしたら乙女には内省が感じられないからかも。
少女はその感性で価値判断をしたり、時には人にどう見られているか気づいたり気にしたりするものだけど、乙女は没入してるイメージを抱いている、とか…?

ま、こう書いていることは、ぜーーーんぜん全く!意味をなさないただの戯れ言なんですけどv
 乙女と少女の違いなんてきっとないのだろうし、大差ない些末なこと。
書き散らしたとて、私の乙女嫌いがより確かに頑なになっていくだけのハナシなのだろう。

改めてそう思うと、自分に与える影響をよっぽど考慮しないと引きずられるのね、この作業って。
ヒマって怖いw

コメント

HT
2010年4月30日18:45

朝読んでから<乙女>と<少女>の違いが頭に引っかかって
いろいろ考えてしまいました。(ちゃんと仕事しろよ!)
今まで自他共に<乙女>とはとんと縁がなかった気がする・・・・。
Konynonちゃんが書いてるように、乙女は自己完結した世界の住人だから、
価値観が違う人間との接点を失っているというか、敢て失ったフリをしてるというか。
少女は時間の経過とともにその人の一部として取り込まれてゆくのですが、
乙女の時間はある瞬間に止まってしまい、そのまま朽ち果ててゆくのかもしれないですね。
何にしろ変化を拒否したものはいつか淀んでその姿は歪んでゆく気がします。
むしろそれゆえに芸術家はその<奇跡的に美しい瞬間>を残そうとするのかもしれないですね。(だんだん着地点がわからなくなってきた;)

私もブルマー女子だったですよw
あれってやっぱどー考えてもヘ○タ○っぽいよね(;´∀`)

konynon
2010年4月30日23:44

>HTさま

こんばんは!

乙女は刹那的な愉悦を愛し、それを永遠に追いかけることを厭わないから、外で何がおきても本気でどうでも良いんでしょうね。
あぁ…だから芸術家によって封じ込められた乙女たちは其処がいちばん美しくいられるのですね、成程!

「淀んで歪む」ときのグロさったらないですよ(笑)
ただ痛々しく濁るだけのオンナ。

ちゃんと大人の女性になって、できればさらっとちゃきっとしたオバサンになりたいもんです。

ブルマー…今となっては名前さえ〇ン〇イっぽく聞こえてしまうのはなぜ♪