「春の祭典」ストラヴィンスキー

「Le sacre du printemps」ballet
  http://www.youtube.com/watch?v=vNt0mvjoS08

私にとって、「春」というとprimaveraより先にこちら。


冬の静寂を破って、春は足元から湧いてくる。
ざわめき、蠢きに共鳴し、沈黙を纏っていた固い種が爆ぜるように。

その夥しい、比類なき生命の叫喚の瞬間を音にするとこんな感じなのでは、と思わせるようなバレエ音楽。


初演時には同業者でさえ罵倒し、「春の虐殺」と批判された。

でも、冬から一気に春がやってくるとき、「なにか」が生まれてくるとき、なんというか…ある種むきだしの、あられもない姿をした生命が拍動を乱すような感覚は、春の暴力的な側面そのもののように思われるのです。


そうかんがえるとヴィヴァルディの春は、結構牧歌的なのかも(笑)



コメント

nophoto
HT
2010年2月10日9:31

>冬の静寂を破って、春は足元から湧いてくる。
>ざわめき、蠢きに共鳴し、沈黙を纏っていた固い種が爆ぜるように。

この表現好きです~。

URLから映像見ました。
バレエもクラシックもわからないんですが、すげーせくしーな振付(笑)
ベジャールなんだ。
踊る、ってのは肉体を介して、何かわけのわからない内部から湧いてくるエネルギーを
天(神サマかもしれんし、季節の恵み、あるいは肉体そのものの悦び)へ捧げる儀式なんだ、って印象。
邦題は「春の祭典」ですが、フランス語ではsacreなんですね~。
ますます儀式っぽい。
肉体の表現ってなにか、こう、言葉でのそれを超えた饒舌さを感じさせることがありませんか?
私の場合、自分にはない部分だから尚更神々しく見えてしまう・・・。

konynon
2010年2月10日22:55

>HTさま

こんばんは~♪

これ、AC2010のひとが見ても驚くのに、さぞ初上演を目の当たりにした人はぎょっとしたでしょうね…

踊る(舞う?)ことに「畏るべきものへの供物」のような意味が見受けられるのは、洋の東西問わずで面白いです。プリミティブな印象を受けるものほどトランス状態に近いと感じます。だからガムランの影響をモロに受けたラヴェルの「ボレロ」なんて、見てると気が変になりそうに(笑)

日本の国風歌舞だって、本来は神に奉納するものとしてご神体のある方角を「正面」としていたわけですし…(今じゃ"観客"を正面とすることもざらですが)

言葉なんて、私たちの使ってる言葉でさえせいぜい何千年かですからね(笑)
しかも所詮人間の造ったものですし…

極限まで研ぎ澄まされた肉体表現を見ていると、霊長類ヒト科という動物の、あるいは生命を宿すすべての有機体の在ること自体に思いを致すことがあります。
その感動と、表現の間に必ずある裂け目はいつも言葉に尽くすことができなくて…
悔しかったり、でもそれが何故か嬉しかったり(笑)

だから、肉体表現=actionの前に、私は無意識にも意識的にもひれ伏し、それを生業とする人には最大限の敬意を抱くのです(笑)