MAYUKOさまのところで文部省認定唱歌のお話がでていたので乗っかっちゃいました(御容赦くださいませ!)

時節も込みだと、「冬景色」かな。

  さ霧消ゆる湊江の
  舟に白し、朝の霜。
  ただ水鳥の聲はして、
  いまだ覺めず、岸の家。

  烏鳴きて木に高く、
  人は畑に麥を踏む。
  げに小春日ののどけしや。
  かへり咲の花も見ゆ。

  嵐吹きて雲は落ち、
  時雨降りて日は暮れぬ。
  若し燈のもれ來ずば、
  それと分かじ、野邊の里。
               (作詞、作曲者不詳)
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 何というか…冬特有の清澄で張り詰めたような空気と静けさを纏った情景がそこに在るような気がして…単純なもので、今日一日中頭の中で歌ってました。

 音楽の授業で歌った時は、歌詞の解釈より言葉の手触りに魅かれて幼馴染とハモりながら帰ったな…(こまっしゃくれてますな;)

 
愛に御託はそれ程必要ないから(逆に、科学的合理性に基づいても"愛"は論破しきれないし、結論づけられたらその時には対象‐自分に句点が打たれたともいえるのかも)←私がそういうタチなだけ、かもしれないけれど…
 
歌と自分の根っことの間で共鳴するものがあって、はじめて愛唱歌になるのかも。
ここ最近の歌で、「愛唱歌」ってないかもしれない…
 愛唱歌至上主義でもないし、歌を聴くことを楽しむのも大好きですが。

「花」は愛唱歌なのかな? 「夜空」も、近いものがあるのかも。

昔々の文部省が推薦唱歌を次から次へと増産していたころは、北原白秋や滝廉太郎、山田耕作ら(西洋的感性を借りた日本趣味?)浪漫主義の台頭とおよそ時を一にしているわけで、要するに文部省の戦略ありきのお膳立てなわけで。
 それでも今尚愛唱歌になるのは、「歌うための歌」として優れていたから、なのかな。

 ちなみに、ウチの近所を回ってる灯油のトラックBGMは「焚き火」です。
  冷静に考えると、ちょっとアブナイ気もします。

そして、紅白間近。MJコーナー…視るまで何も言うまい…
今日は「女性自身」を即効立ち読み、相変わらず優美で大胆というアンビバレンツな造作と雰囲気がお素敵な木村さん。

 ※オマケのひとりごと※
  F〇S歌謡祭のトリで、「攻めていきます」って言った直後にオケバックで「花」歌った某すまっぷさんは、今月ベスト8に入る面白さでした。
  「攻め」も、色々あるからね。ホントごめんなさいこんなヤツで…
 
 (自分メモ) 
   明日は少し時間があるので、「守・破・離」について考えよう。




コメント

nophoto
HT
2009年12月23日0:43

ウチの近所の灯油トラックのBGMは「月の砂漠」です。
子供心になんて綺麗な歌詞だろう・・・と。
脳内でダイレクトに映像化するんですよね、情景が。
メロディが物悲しいのがまた良くて。
しかし焚火と灯油・・・砂漠と灯油・・・どっちがより不穏なのでしょーか??

キムラさんは実は攻めの反対っぽいと思う(こそっ)

MAYUKO
2009年12月23日8:41

Konynon様 どうぞどうぞ ご容赦なんて…滅相もないです。

HT様「月の砂漠」もいいですね…「冬の星座」とか…
言葉の手触り…そうですね…
脳内でダイレクトに映像化できる歌はやはり素敵です。

昨今の歌としては、比較的「きれいな日本語」で歌われた歌だから
「世界」は愛唱歌に成り得たんだと思っています。

日本語の発音そのものはどんな言語より簡単です。
でも難しいとされる…
その理由は文化を背景にした言語が多くそこを理解していないと
話すことができない言葉だから難しいんだと思っています。

万葉集なんてその最たるもの…あの短い言葉の綴りだけで
遠き過去の万葉の世界に思いをはせることができる…なかなかないですし…

童謡も…同じですよね…。

konynon
2009年12月23日23:44

>HTさま

 「月の砂漠」私も大好きです。やっぱり場所によって違うんですね…
  焚き火はキナ臭いですが、砂漠は生臭い感じ(笑)

  なんかね、「攻め」って仰る度に、ご自分や周りに言い聞かせてるというか…そんな風に受け取ってしまったのです。

  こちらは受け取るだけですから、いいんですけど…
  基本的に、翼は何かを庇うためにあるのではなくて、空で羽ばたくために有るものだと、私は思ってます。(イタイ?笑)

  どうか…と願うばかりです。

konynon
2009年12月24日0:28

>MAYUKOさま

 童謡や愛唱歌って、えてして見たこともない世界や実在しない世界を描いているのに、情景が浮かんで、その世界を歩くことができるんですよね。

 母がよく口ずさんでいた「昭和の歌謡」にはそういう空気が封じ込められていたように思います。反対に、直近になってくると、「別の場所で起きているだけで自分の住んでいる世界の出来事」を描いたものが多くなっている気がします(私が昭和生まれだから?・・笑)

 良く言えば親近感が強い、ネガティブだと詩的感性が薄いというか…


日本語は発音、品詞の変化構造自体は割合単純ですね。
 その分言葉と言葉とのつなぎ目であったり、言葉単体の含意するところをきちんと理解しようとすると、日本人でも結構苦しむようです。
 私はどちらかというとそういうのを学ぶのが好きなのですが、いざ中国人の友達とかに説明しようとすると、まず自分自身が説明するのに骨を折ってしまうので落ち込みます(笑)

 素朴でおおらかで…万葉集はあたたかくなりますね。
  防人の歌は詠み人知らずが多いけれど、詠んだ人物の人柄や愛する人が浮かんでくるようで特に好きでした。
  白洲正子さんが好きなのは万葉集だったかしら…

 言葉は自分なりに大切に使いたいと思います(笑)