恐れ多くも(しかもあんな素敵な場所と)リンクなぞをさせていただいてから、カウンタは尋常じゃないくらい回ってるなぁと気づく。

主に木村さんをウォッチしていて、書き留めておきたいなぁと思ったことを晒しちまってるこの雑記。
(まぁ、最近は純然たる雑感や感想文になっちゃってますが)

「感じたこと」を「なんでこういう風に感じたんだろう」と探ってみて、文字にして残す(しかも人さまの目に晒す)という作業は興味深くて、やっぱり難しい。



私は、「共感」と「同調」は違うものだと思うし、wwwの世界では特に注意深く峻別されていい事柄だと思います。もし拠って立つところを自分自身に置きたいのなら。
 私の叔母は看護師ですが、「共感」は、看護師にとって一つの"職掌"であり"職能"であると常々言っています。そして、"共感はすれど、同調はしない"というのがポリシー。
私は叔母の影響を受けてか、この言葉は折にふれ思い出されます。

 全く異なる環境にいるヒトたちが、同じヒト(の仕事)に目を魅かれて語ってる。
 そのヒトの繰り出すモノゴトに反応して(まぁ、モエともツボともいえますが・笑)盛り上がれたりするのはやっぱり凄いことです。
 その時に私は、共感をしていたいし、同調はあまりしたくない(グッとくることに賛同はしますよ!)
 同調はね…やっぱり忌避感というか、危険なかほりがするのです。共感も同調も、「そうそう!」の部分でかぶるかもしれないけれど、一色に一気に染まるでしょう? 私は、そういう空気にはあまり参加したくない。

「そうそう!」となった時、その"私"と"誰か"は全くの別物であり、"お互い"が別個であることを改めて認識し、それが共時(モエツボ)性を成し遂げたことに感動しているのだと思います。しかも、やっぱり捉え方や表現の仕方は全く違うわけで。

 同調というのは、"私"が"us"になり、"somebody"になり、"nobody"に成りうるわりに、何も産まないことが殆どだから。


敢えてこのカテゴリで書かせていただきました。
by自分で書いておいて自分の文章で煙にまかれるkonynon
 



コメント

nophoto
HT
2009年12月18日22:34

> 同調というのは、"私"が"us"になり、"somebody"になり、"nobody"に成りうるわりに、何も産まないことが殆どだから。

ココロから同意です。
私がIでいることはアタリマエのことだけど、nobodyに成りたい人もまた多し。
それこそ、チャントシナイトネ!

konynon
2009年12月18日23:44

>HTさま

HTさまに「同意」いただけて、とっても心強いです(笑)
自戒も込めて書きつけておきました。
特にネガティブな同調はね…とっても危険だと思うので。

CHANTOするって、難しいっす(笑)

nophoto
takの木管理人
2009年12月19日9:20

こんにちは。
でも日本人に一番多いのは、everybodyになりたい人じゃないかと…ちょっと思いました。
だから同調しやすいのかな?と…。
多数派で居ることが一番安心なのかな。
それはiがない共感で表現される…なんちゃって(笑)。

konynon
2009年12月20日0:42

>takの木管理人さま

いらっしゃいませ!^^
そうですね、everybody…気を付けてみればあらゆる言説に潜んで威力を発揮してきましたから…

ただ、日本人に限らず(だと思いたい)多数派がcorrect answerを産んでこなかった歴史も知っているはずなんですよね。
 一応多数派=勝利(政治とかゲームとか?)かもしれないけど、≠正義ということは。
 だけど、多数派の権力が瓦解してしまったら、不安になる。自分をどこにおいたらわからなくなる。それは日本人の場合は特に、普段そういうことを考えたり意識する機会を余り持ってこなかったことに起因するのでしょうけれど。
 
 takの木管理人さまが仰るように、多数派で「居ることが安心」なのでしょうね。それは「選択すること、それを明らかにする懼れ、不安」を照射するものでしょうし。
"iがない共感"って言葉の響きは良いですね(笑)
そのlogicがまかり通っていた時代はとうに過ぎたように思いますけど、名残にしては強すぎる、哀しき日本人の特性かな、でしょうか…笑
気をつけねばなりませんね(と、私は思う)

 長文になってしまってごめんなさい、只今酔っぱっぱなので…笑
 --
以前頂いたコメントに、遅まきながらレスつけさせていただきました。
ほんとにもうしわけないです・・(><)

nophoto
takの木管理人
2009年12月21日0:07

こんばんは。

>多数派で「居ることが安心」なのでしょうね。それは「選択すること、それを明らかにする懼れ、不安」を照射するものでしょうし。
>"iがない共感"って言葉の響きは良いですね(笑)

だから自己肯定的な考えが、多数派になりやすいのかも知れませんね。ナチの選民思想とか。自分を肯定できるから安心する。
一見ポジティブの様相を呈しているだけに、難しいところですよね・・・・。でも当人たちにはポジティブでも、他人にはネガティブなこともありますね。
愛は愛でも、自己愛であって他者に対する愛ではないから・・・・。

>「昭和天皇モノ」だと白眉なのがアレクサンドル・サクーロフの「太陽」かな。

ウチの両親が観たと言ってました。「なかなかおもしろかった。」と。やはりイッセーさんを絶賛でした。
私も機会があったら観てみたいです。

>素晴らしい俳優さんたちが、素晴らしい作品で輝く機会の多からんことを!!
>そしてそれを観客が感じ、考え、圧倒される「幸」多からんことを切に願います。

まさに愉悦の時、ですよね。
圧倒されたいの、圧倒して!(半強制)笑

>私信?)来年大河、ご覧になった感想も拝見したいです^^

大森しゃんウォッチング中心になるかもです。(笑)
大河予告でちらっと出た居合抜き大森しゃんも、しゅてきでした・・・・。

konynon
2009年12月21日1:02

>Takの木管理人さま

こんばんは、いらっしゃいませv

ほんとにねー、考えていくと難しいんですよ、私も(苦笑)
 このご時世、①どちらが多数派か、②どちらが自分にとって利益を多く与えてくれそうか ③どちらが安全(安心)か ④どちらが"正しい"のか
 と、ざっと並べて見ても、一番尻尾は多くの人にとって余り選択肢としては魅力的ではないのかも(笑)
 ナチの選民思想にしても、それはパリでの講和条約の屈辱(劣等感)、大不況、金融業を営むユダヤ系の人々との経済格差etc,こんな閉塞感の中で「選民思想」なんてブチ挙げられたりしたら…語弊を恐れずいえば巧みなんですよね(笑)

 また、そう言うののスピーカーを「知識層」がかって出たりしますから(笑)
ナチスの例を引けばハイデッガーもそうだといえるし、オランダで中世に起きた「チューリップバブル」にニュートンが手を突っ込んで大損しちゃったとか(笑)
頭がいいから、状況を把握できるポジションにいるから、多数側にあるから、リテラシーには自身があるから、なんて実際起きたらきっと判らないですもの。
 ほんとうに、ね…(苦笑)気をつけます。

それから「太陽」
 本当に!!是非ご覧になってください。イッセー尾形さんに戦慄さえ覚えます。
私も一度きちんとした体裁での感想を挙げようと目論んでたんですけど、陳腐になって凹んだので(悲)
 ご覧になったら、Takの木管理人さまの御感想をぜひ教えて下さい。

圧倒の時よ来たれ(笑)!!
クレームまがいの批評をぐぅの音も出ないくらい圧し負かす瞬間をいっぱい目撃したいと思っています。

あ、そうそう。
 発売真近の「icwr」DVDでは、日本語吹き替えを木村さんがされたとか、PIFFでの3人インタビューが急遽収録されることになったそうですよv

 それにしても恒常的に素敵おっさんラブです♪こう…キュン!というかグッ!とくるというか…(変態?)管理人さまは「笑う警官」ご覧になったのかなぁ…笑

気が向いたら遊びに来て下さいね^^
では、おやすみなさい…zzz