♪やめられない 止まらない ICWR妄想! ♪ (えびせん的に)
なんと5日目にしてまだ燃え尽きぬ裏読みという名の妄想(笑)
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今回はあの雨のシーン。
圧倒的なボリュームの美しさ溢れる「再臨」です。
今まで聖書の記述のなかの、まさしく「物語の再物語化」という視点(キリストが人間としてこの世に存在していた時代)に重ねてみていたのですが、蒸し暑いバスのなかで別のことを考えてました。
近現代における「キリスト」の語られ方(or議論のされ方)も下敷きとされているのでは?? ということです。
絵画でも描かれる「最後の審判」は終末の瞬間にいきなり訪れるわけではなくて、その前にハルマゲドンがあって、その前にあるのが「千年王国期」。現在は、人間だけで統治していかねばならない大変な期間、なのです。
対してこれは神による直接統治期間を意味であり、"至福の千年"とも言われます。
19-20c末期に、主にアメリカでこの「千年王国」の解釈について主な論点となったのが、
「この時期の、どのタイミングでキリストが再臨するのか」ということでした。
1.「千年王国」始まりの前=前千年王国説
2.「千年王国」が終わったとき=後千年王国説
(他にも、無千年王国説など)
1.の場合、神の先立ちとしてキリストがやってくるので、人間だけで神を迎える状態に整える必要性がなく、人間は喫緊の課題として考えなくなりますから、自然と楽観的な捉え方をします。(福音楽観主義)
2.の場合、最後の審判の先触れとしてキリストが再臨しますから、いま大荒れのこの世界を人間だけで整えて、神に差し出さねばなりません。こうなると、人間はてんやわんやです。早速聖書をよくし、善き行いをしていこうとします。それが目標になるのも、また自然です。(福音根本主義)
しかし、現代になるにつれて、この世界は暴力と、(主にキリスト教圏での解釈では)混沌と混乱の相を呈してきます。こうなると、2.のほうにトレンドが移ってきます。(大体20c後半にはこちら優勢の状態)
彼等はかなり保守的で、ストイックで、なおかつヴァチカン‐churchの結びつきとは異なるスタンスを持とうとします。
(ヴァチカンは、聖書ののちに人間がつくった機構なんで。)
ブッシュJrは熱烈な2=ファンダメンタリスト、ですね。イスラームからのアタックに対して、傍から見れば愚かしいまでの勢いで攻めることができたのも、この思想が背景にあったがゆえの責任感、があったからなのかもしれません。
ただ、現在そうであるというだけですから、経済状況がよくなって世界(アメリカ?)が浮かれ始めたらまた1の方に軸が移行していく可能性もあります。
過去4・5回ほど、両者間で大きな潮流の変化が認められています。
とまぁ、ここまでは過去の、しかも現実のお話。
ここで、「i come with the rain」を振り返ってみます。
おそらく、時代設定は今とそれほどズレのない時期でしょう。
場所は、汚染されきったアジアの小さな島。
キリストは、アジアの青年の肉体を纏って「再臨」してしまいました。
一番衝撃を受け混乱するのは、絵として、像として、(語弊をおそれないでいえば)自分自身のなかに結んで信仰してきた信仰者たちや、対立概念として今まで反駁し合ってきた論者たちではないでしょうか。
崇め奉り、金箔の装飾を施そうとする者。
反対に、「偽物」として断罪しようとする者。
その現実から目を背ける者。
火種となってしまうことは必定でしょう。
HTさまの仰るように、shitaoはかなり荒唐無稽な背景をしょっています。
だからこそ、現在、本当に(作品としてであれ)あったとしたら…?
キリスト教世界はどうなってしまうのでしょうか。
いくつか前の記事で「聖書の語り直し」とか書いた記憶がありますが、もしかしたらこの作品は今=現代、現実世界における物語、なのかも。(凄い薄いカモ、です)
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妄想づかれしたので、白い鯛焼きで糖分を補給します♪
明日は九十九っち、その前にwhat’s~♪
注;全体的にヒラヒラしていますので、どうぞ御了承くださいませ。
なんと5日目にしてまだ燃え尽きぬ裏読みという名の妄想(笑)
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今回はあの雨のシーン。
圧倒的なボリュームの美しさ溢れる「再臨」です。
今まで聖書の記述のなかの、まさしく「物語の再物語化」という視点(キリストが人間としてこの世に存在していた時代)に重ねてみていたのですが、蒸し暑いバスのなかで別のことを考えてました。
近現代における「キリスト」の語られ方(or議論のされ方)も下敷きとされているのでは?? ということです。
絵画でも描かれる「最後の審判」は終末の瞬間にいきなり訪れるわけではなくて、その前にハルマゲドンがあって、その前にあるのが「千年王国期」。現在は、人間だけで統治していかねばならない大変な期間、なのです。
対してこれは神による直接統治期間を意味であり、"至福の千年"とも言われます。
19-20c末期に、主にアメリカでこの「千年王国」の解釈について主な論点となったのが、
「この時期の、どのタイミングでキリストが再臨するのか」ということでした。
1.「千年王国」始まりの前=前千年王国説
2.「千年王国」が終わったとき=後千年王国説
(他にも、無千年王国説など)
1.の場合、神の先立ちとしてキリストがやってくるので、人間だけで神を迎える状態に整える必要性がなく、人間は喫緊の課題として考えなくなりますから、自然と楽観的な捉え方をします。(福音楽観主義)
2.の場合、最後の審判の先触れとしてキリストが再臨しますから、いま大荒れのこの世界を人間だけで整えて、神に差し出さねばなりません。こうなると、人間はてんやわんやです。早速聖書をよくし、善き行いをしていこうとします。それが目標になるのも、また自然です。(福音根本主義)
しかし、現代になるにつれて、この世界は暴力と、(主にキリスト教圏での解釈では)混沌と混乱の相を呈してきます。こうなると、2.のほうにトレンドが移ってきます。(大体20c後半にはこちら優勢の状態)
彼等はかなり保守的で、ストイックで、なおかつヴァチカン‐churchの結びつきとは異なるスタンスを持とうとします。
(ヴァチカンは、聖書ののちに人間がつくった機構なんで。)
ブッシュJrは熱烈な2=ファンダメンタリスト、ですね。イスラームからのアタックに対して、傍から見れば愚かしいまでの勢いで攻めることができたのも、この思想が背景にあったがゆえの責任感、があったからなのかもしれません。
ただ、現在そうであるというだけですから、経済状況がよくなって世界(アメリカ?)が浮かれ始めたらまた1の方に軸が移行していく可能性もあります。
過去4・5回ほど、両者間で大きな潮流の変化が認められています。
とまぁ、ここまでは過去の、しかも現実のお話。
ここで、「i come with the rain」を振り返ってみます。
おそらく、時代設定は今とそれほどズレのない時期でしょう。
場所は、汚染されきったアジアの小さな島。
キリストは、アジアの青年の肉体を纏って「再臨」してしまいました。
一番衝撃を受け混乱するのは、絵として、像として、(語弊をおそれないでいえば)自分自身のなかに結んで信仰してきた信仰者たちや、対立概念として今まで反駁し合ってきた論者たちではないでしょうか。
崇め奉り、金箔の装飾を施そうとする者。
反対に、「偽物」として断罪しようとする者。
その現実から目を背ける者。
火種となってしまうことは必定でしょう。
HTさまの仰るように、shitaoはかなり荒唐無稽な背景をしょっています。
だからこそ、現在、本当に(作品としてであれ)あったとしたら…?
キリスト教世界はどうなってしまうのでしょうか。
いくつか前の記事で「聖書の語り直し」とか書いた記憶がありますが、もしかしたらこの作品は今=現代、現実世界における物語、なのかも。(凄い薄いカモ、です)
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妄想づかれしたので、白い鯛焼きで糖分を補給します♪
明日は九十九っち、その前にwhat’s~♪
注;全体的にヒラヒラしていますので、どうぞ御了承くださいませ。
コメント
↑にもちょっと出てきたブッシュJr。監督のインタでアブグレイブ刑務所での捕虜リンチ映像→donpoのハンマーシーンが生まれた、とか、恐怖の映像の中の美、の例えで明らかに9.11の<あの>場面が引用されていたのも、偶然ではない気がします。
はっきりと表明はされてませんが、現代のキリストがアジア人の肉体へ降臨し、<世界の終わりまで>苦悶し続ける、というイメージは明らかな皮肉でしょうね。
そういう皮肉の描き方ってすごくヨーロッパ(特にフレンチ・笑)目線な気がするし、アメリカへの一種の憎悪(と裏返しの畏怖)の感覚は、彼がベトナム戦争によって祖国を追われた亡命者の子供である、という出自から切り離せないのかもしれません。(キネ旬でも指摘されてましたね!)
あーーーーー!
またもや話が取りとめなく広がってしまった。
スンマセン(;´∀`)
そう、この映画の舞台が「アジア」であることも、いろいろと裏読みしてしまうところです。
パンフレットでは「アジアには何の思い入れもないが、そこを舞台とする必要があった」(ごめんなさい、うろ覚え;)と語られていました。
まさに、HTさまの仰る通りのようなことが企てられたのではないでしょうか。
さんざアメリカの手でひっかきまわされたアジア。ベトナム然り、韓国然り。
しかも、結果的にjesusを担っているのは極東の島国の一役者ですしね。
ほんとに、おフレンチな皮肉やな~と思います。これが機智、なんでしょうかね・笑
アメリカでも上映されるんですかね…?私はそのレビューに興味津津です。
どんなふうにこの作品を扱うのだろう? ジャップのjesesをどう評してみせるんだろうって。…いぢわるでしょうか(笑)